「歌の演奏会

2000(平成12)年11月24日(金)
天理市文化センター
午後6時30分開演

米田道治(歌)
 鈴木愛子(ピアノ)

 
【プログラム】
  [第一部]

    「花の街」     江間章子 作詞  團 伊玖磨 作曲
    「夏の思い出」   江間章子 作詞   中田喜直 作曲
    「浜辺の歌」    林 古溪 作詞   成田為三 作曲

    「赤とんぼ」    三木露風 作詞   山田耕筰 作曲
    「荒城の月」    土井晩翠 作詞  滝 廉太郎 作曲

    「雪の降る町を」  内村直也 作詞   中田喜直 作曲
    「早春賦」     吉丸一昌 作詞   中田 章 作曲
    「花」       武島羽衣 作詞  滝 廉太郎 作曲

  [第二部]

    「心の花を咲かせよう」      上原ほうし 作詞   山本直純 作曲
    「こんにちは」          松田元雄 作詞   團 伊玖磨 作曲
     おうた7番「心つくしたものだね」 おふでさき 号外  團 伊玖磨 作曲

    「Caro  mio  ben」                   G. Giordani 作曲

    「Tomorrow」              杉本竜一 作詞 杉本竜一 作曲
    「Let's search for Tomorrow」         堀 徹 作詞 大澤徹訓 作曲

【出演者からのことば】   

鈴 木 愛 子
 今回,この天理において,先生と演奏させていただけること,大変嬉しく思っております。ただただ懐かしく,今までとは違った感覚で貴重な時を過ごさせていただきました。
 お年寄りの方々を前に日本の歌などを演奏させていただくと,よく目にあふれんばかりの涙を浮かべて聴いて下さる方を目にします。自分にはまだよくわかりませんが,幾つもの歳を経て,ふと我にかえったり昔を振り返ったり・・・・音楽というものは何か深い感動や思いを起こさせるものなのかなあと感じております。今回,日本の歌を取り上げるということで,私の中でかなりの抵抗がありましたが,小学校の音楽の時間さえも選択にしようという動きのあるこの時代に,未熟ながらも次世代に伝えてゆき,その中で自分自身,だんだんに理解を深めてゆけたらと思っております。
 皆様,それぞれに曲に対する思いは様々かと思いますが,きょうは素敵な時間を共有できたらと思っております。

天理中学校を卒業後,京都市立堀川高等学校音楽科[現,京都市立音楽高等学校]
(ピアノ専攻)から京都市立芸術大学音楽学部器楽科(ピアノ専攻)を卒業。

 

米 田 道 治
 本日はお忙しい中,また,お寒い中をご来場いただきまして本当にありがとうございます。
 私事で恐縮ですが,今年の三月をもちまして,大学を卒業して20年が経過しました。ここ数年,いろいろなことがマンネリ化してきており,何かをキッカケにして新たな自分を見い出すことはできないかと考えておりました。実を言いますと昨年の今頃から,20年という節目に「演奏会」ができればと考えておりましたが,時期や中身をどうする?勉強もしていないのに・・・・と自分自身の中に,自分の足を引っ張るもう一人の自分がいました。そうしているうちに21年目が始まり,再び「演奏会」への思いが強くなってきていました。
 そして今年の6月3日,きょう伴奏をしてくれる鈴木さんに偶然,電車の中で出会いました。彼女との出会いは十年前。私が初めて三年生の担任をしたクラスの生徒の一人でした。
 「これは神様が引き合わせて下さったに違いない!」
そう考えた私は,その場でこの企画を話し,伴奏を頼みました。あまりの強引さに驚いたことだったと察しますが,快く引き受けてもらって本日を迎えることができました。しかし,夏休みは忙しく,二学期の前半も学校行事等で多忙・・・・本格的に動き始めたのは二学期の半ばを過ぎた頃からでした。
 演奏する曲も,決して背伸びをせず今の自分にできることを,と考えました。ただ演奏するだけではなく,お話も交えながらの進行を予定しております。みなさんのご存じの曲もたくさんあることと思いますし,卒業生のみなさんには懐かしい作品もあります。一緒に口ずさんでいただきながら,みなさんと一緒にすてきな時間を共有できれば良いなあと考えております。
 この「20年」という節目を私自身の「成人式」と仕切り,明日から,また新たな気持ちで意欲的に生きていきたいと考えています。
 本日ご来場いただいた方々,お手伝い下さった方々,そして伴奏をしてくれた鈴木さんに心からお礼申し上げます。ありがとうございます。
 これからもいろいろな形でのご指導,ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

天理中学校・高等学校卒業後,愛知県立芸術大学音楽学部声楽科を卒業。
その後三年間の奈良県立高等学校音楽科教諭を経て,天理中学校音楽科教諭として現在に至る。


 これまでは、音楽の先生として、あるいは吹奏楽部の指導者として過ごしてきておりましたが、初めて自分自身のためにがんばってみました。演奏のデキはお世辞にも良いものとは思っておりませんが、「よくぞ思い切った!」と自分自身をほめてやりたいです。
 お忙しい中をご来場下さった方々、本当にありがとうございました。また、「がんばって下さい」という便りもいただきました。本当にありがとうございました。できることならば、来年もまた歌わせてもらえたらなあ・・・と考えておりますが・・・・

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[以下の文章は、天理中学校の校友会誌『わかぎ』に投稿した私の作文です]
ダラダラと長いので、時間があれば読んでみて下さい。

「私の成人式」   
 昨年の3月、大学を卒業してから満20年が経過した。卒業後、すぐに奈良県立高校の教諭として採用され、三年間勤務した後に天理中学校の教員となったので、教員としても満20年を経たことになる。世間でも20歳で成人式という節目を迎えるのであるが、私も「20年」という節目に何かできないだろうか・・・実は、一昨年の9月ごろから、そんなことを考えていた。
 ここ5〜6年、いろいろなことがマンネリ化してきていた。学級通信を書いていても、「去年はどんなことを書いていたかなあ」と気がついたら以前のものを見ている自分。三年生の担任をして三度、運動会の応援と音楽会の優勝をさせてもらったけど、一昨年は同じように生徒たちに働きかけたにもかかわらず優勝できなかった自分。過去にとらわれ過ぎていて、今どうすべきなのか、という新しい発想を持てなくなってきていた自分に我慢がならなかった。何とかしたい、マンネリ化している自分を奮い立たせるために何かをしなければいけない、と考えるようになっていた。

 私は中学時代、天理中学校で吹奏楽部に入ってから音楽に目覚め、勉強して音楽大学に入学。卒業後、教員になってもずっと吹奏楽と関わってきた。だから、「器楽」が専門であると思ってる先生方が大勢おられる。しかし、私が大学で専攻したのは声楽。そう「歌うこと」を専門に勉強してきたのである。
 そうだ!歌おう!自分の専門である歌を歌うことによって初心に帰ろうと考えた。時期的には満20年となる昨年の3月ごろが第一候補だったけれど、諸々の事情で見送り、断念しかけていた。そして21年目が始まっていった。
 そして昨年の6月3日。卒業生の結婚式で大阪に向かう途中の電車の中で、ある卒業生に出会った。その卒業生は10年前、初めて私が三年生の担任をしたクラスに在籍しており、卒業後、現在の京都市立音楽高校から京都市立芸術大学のピアノ科に進んだ。もし歌うのならピアノの伴奏は彼女に頼みたい、そう考えていた人だった。
 「これは神様が引き合わせて下さったに違いない!」
 そう直感した私は、すぐにこの計画を話し、ピアノの伴奏を頼んでいた。あとでこの時のことを彼女と話していると、「あー米田先生や」と思ったら自然に足が動いてたんです、と言っていた・・・まさに神様の仕業だったんだろう?
 しかし、夏休みは超・多忙。二学期の前半は運動会から音楽会という行事で超・多忙。実際的な動きに入ったのは中間テストの頃からであった。
 無理な背伸びはせずに今できることを基本とし、中学校の教材で扱われている作品を中心に選曲した。
 大問題だったのは伴奏との合わせを、いつ、どういう形でやるかということだった。結局、私が京都まで行くことになったけれど往復に要する時間が3時間半ほど。帰宅は午前零時をまわることが多かったけれど、大学を卒業して以来初めての、アカデミックな緊張感がそれを支えてくれた。実に楽しい時間の連続だった。学生時代にもこんなに勉強した記憶がないくらいに緊張して勉強した。大学の先生のレッスンでわかりにくかったことも、今なら理解できそうだということが、たくさんあった。先生はこれを教えたかったんだ、そんなこともいっぱい感じることができた。
 実施に踏ん切りをつけるのが遅かったので、案内状の作成や発送も遅くなってしまった。また、本校の高木先生と、10年前の初めて三年の担任をした時のコンビであった、今は天理高校にいる西口先生が、親身になって世話を焼いて下さり、マネージメントはすべて二人が仕切って下さった。
 そうしてついに本番の日、11月24日を迎えた。昼過ぎに伴奏者が天理に到着。会場の天理市文化センターで合わせの練習を少しして、一息いれたら本番。楽屋での緊張感はすさまじいものだった。これまでにも数多くの舞台に立ち、いずれの場合も舞台袖での緊張は厳しいものだった。しかし今回は明らかにそれらとは違っていた。伴奏者とたったの二人。しかも客席に向かって演じる(指揮の場合、本番中は客席に尻を向けている)という不慣れな状態。伴奏者と別々に鏡に向かい呼吸を整えるという緊張感。今、思い出してもゾッとする、しかし充実した場面であった。

 そしてついに舞台に立つ。
 第一部は教科書に出てくる教材を選んで歌った。これまでに何度も歌詞を読み、歌ってきた曲ばかりだったが、とても新鮮だった。時々、学生時代のレッスンで先生が仰っていたことを思い出したり、合わせの練習でのことを思い出したり、楽しい時間があっという間に過ぎていってしまった。
 第二部では、これまでで思い出に残っている曲を6曲選んで、思い出話を交えながらの舞台とした。今から思えば、話している時間が長くて、聴いて下さる方々には申し訳ない気がするけど、自分自身ををさらけ出して演じられることは幸せだった。特に終わりに歌った二曲、「Tomorrow」と「Let's search for Tomorrow」は、音楽の教師で良かったなあと実感。アンコールでは会場の人たちと一緒に「Let's search for Tomorrow」を歌って終演。
 こうして卒業後二十年目を仕切って企画した「歌の演奏会」が終わった。ちょうど21世紀への変わり目と重なり、新しい世紀が明けた今、何でもできそうな気がしている。

 『進路』・・・この言葉は三年生諸君なら何度も耳にしたことと思うし、二年生でもボチボチ口にするようになってきた言葉である。自分の将来を考えることなのであるが、それは君たち生徒諸君にだけあてはまることではない。誰もが自身の生き方を考え、自ら切り開いていかなくてはいけないものだと思っている。
 私は大学を卒業して以来、自分ひとりで人前で歌うなんて考えてもいなかった。しかし、この2〜3年、ちょこちょこと人前で歌う機会を与えられて、またそれがちょうど「20年」という大きな節目にかかってきたのが良かったのかもしれない。
 
 ある卒業生のメッセージカードに「私も先生みたいに一生を通して真剣にできるものが欲しいと思いました。」というのがあった。できないと思っていた「夢」であった演奏会ができた今、夢を持つことの大切さを痛感している。現実の厳しさはいくらでもある。でもそれを乗り越えていくパワーが生きる力なのかなと思う。
 「私の成人式」は終わった。しかし、これが新たな出発点でもある。これからも夢を持ち、新しい目票を見い出してがんばって生きていきたい。
 私にとって初めての演奏会に足を運んで下さったみなさん、本当にありがとうございました。
 

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