2009年3月31日の日記
 

きょう,久しぶりで「トップページ」の更新をした。

そこにも書いたけれど,吹奏楽部の担当から外れることになった。。。。。

理由は私にはわからない・・・たぶん,私以上に知っている人がいるだろうと感じてはいるけれど。。。。。

何で今なん??

もう今年の夏のコンクールに向けての活動が始まっているのに・・・・・

何か,一人でバタバタしている「ピエロ」のような気分である。
 
 

なのに・・・・・私は意外と平静である。不思議なくらいに。。。。。

思い当たることが一つあるからだ。これは吹奏楽部の生徒たちにも伝えたこと。
 

十年ほど前だったか,ある卒業生の結婚披露宴に出席した際,現在の前真柱様が列席しておられた。
ご挨拶にいくと,「君も歌わないといけないなあ。。。」と声をかけられたのだった。

そのことはずっと気になっていた。
また,うちのカミさんからも
「それは歌いに来なさい,ってことやで」と言われた。
音研合唱団の知り合いの方々にも言われていた。

自分でも「そうだよなあ・・・・」と思ってはいた。

しかし「学校が忙しいから」とか「吹奏楽部のことがあるから」と避けていたのだった。
 

今回の話が出たとき,そのことが真っ先に頭に浮かんでいた。

神様は,こうでもしないと吹奏楽部を切ることができないと思われたんだなあ,きっと。。。。

あふれてくる気持ちもあったけれど,時に厳しい「節」を与えてくださる親心を感じたから,外れることを決めたのだった。
 
 

23日,修了式の前日の夕方,現在の吹奏楽部員たちに伝えた。

「外れる」と言った瞬間,音楽室の空気がピンと張りつめたのが,すごかった。
パリッと大きな窓ガラスが割れたような音が,私には聞こえた。
 
 

25日,私の父親の通院のため,昼過ぎに学校に着いた。

音楽室にあった吹奏楽部の楽器やひな壇がなくなっていた。。。。。。。。。。

何といっても学校は「授業」が一番。私が吹奏楽部の担当でなくなったら,第一音楽室から出ていくのは当たり前なんだけど。。。。。。
 

コーラス部の担当をすることになっています。
現在の部員は一人らしいです。気の毒なことをしていたんだなあと,心から申し訳ないと思っています。
これからどんな活動をしていくのかは白紙ですが,いろいろなところと相談しながら,がんばっていこうと思っています。
幸い,県内の音楽の先生方に知り合いは多いし,合唱の関係の方もたくさん知っています。

とりあえず何をしたらよいのか,どんな練習をしたらいいのか,どんな曲を歌ったらいいのか,,,,尋ねながら模索していきたいと思っています。
 

卒業生のみなさん,私はこれまでと同様,第一音楽室の準備室を本拠地として活動します。当たり前のことだけど・・・・

いつでも気兼ねなく訪ねてきてくださいね。

もし,「慰めてやろう」「責めてやる!」という人はメールをください。

y-miciharu@inets.jp

[@は半角に直してくださいね。迷惑メール防止のためなのでよろしくお願いします。]

明日から新年度に入ります。自分自身の区切りとして,きょう,日記をつづりました・・・・・・
 

25回までの卒業生のみなさん,明日から2〜3年生になる現役部員諸君,君たちは私の大切な宝物です。これからの活躍を祈っています。

そして,みんな,ありがとう!


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