2006年10月の日記帳

作成者のトップに戻る / トップページに戻る 


《26日:木》
 昨日,10月25日,毎年恒例になっている「おうた演奏会」が本部第三食堂で開催された。今回は「おうた19番『成人の道』」の初演・お供え演奏がなされるということで,私自身も何とかこの舞台に立ちたいと思って自主トレに励んできた(笑) 無事に歌い終えることができてホッとしているのと同時に感無量である!!
 今から31年前の春,愛知県立芸術大学に不合格になった私に,「おうた9番」ができて10月25日にお供え演奏があるんだけど,愛知教区合唱団の指導者になってもらえないか,という話が転がり込んできた。それから半年,愛知教務支庁に置いていただき,合唱団の練習におつき合いさせていただき,受験勉強もさせていただいた。「おうた9番『元の理』」は今から思えばムチャクチャ難しい曲で,それを素人の合唱団が一生懸命に練習して本番を迎えたのだった。教区での毎週二回の練習。夏休みには38母屋での合宿練習。百人余の愛知教区の方々と一緒に練習に取り組んだ。そして10月25日。神殿中庭で教祖殿に向かって大きな声での「お供え演奏」は忘れられない。あの時は京都市交響楽団のメンバーが来て下さり,今の「弦楽教室」の音研の先生方が後ろの方で一緒に弾いておられたのだった。私の充実した半年は終わり,半年後の五月の東京公演に向けてまた練習が始まった。それからの半年,私はどうしていたかの記憶は定かではない。
 でも明確に記憶に残っていることがいくつか・・・・まず一つは愛知芸大の入学試験の始まる直前,私はメッチャひどい風邪をひいてしまった。親には「大阪の私学が通ってるんだから,そこに行きなさい」と言われたが,それこそ目の玉が飛び出るほどお金のかかる大学になんか行くのイラン!と38度以上の熱があったのに名古屋に出かけた。愛知教区の人たちと一緒に「おうた」を歌いたい一心だった。試験の前日に声楽の先生のところに行ったら,風邪があまりにひどくて即刻「帰れ!」と怒鳴られていたっけ(笑)
 もう一つ。東京公演に向けての合宿が愛町分教会で行われた。もちろん私も参加していた。その真ん中の日が,合格発表だったのだ。合唱団のみなさんは「あれだけ頑張ったんだからきっと神様が合格させて下さるよ」と言って下さった。でも,現実がそんなに甘いわけがない・・・・みなさんに送られ,「愛知に来てくれないか?」と最初に声をかけて下さったSさんが運転する車で発表を見にいった・・・・合格!! 私以上に喜んで下さったSさんの姿が忘れられない。そして教会に戻ったら・・・愛知教区の方々が本当に喜んで下さり「胴上げ」をして下さった。嬉しくて涙が止まらない。自分のことのように大喜びして下さるみなさんの姿が,今も忘れられない。あとで聞くと,うちのカミさんもその場にいて「???」と思っていたらしい。
 それから31年後の昨夜・・・・31年前は京都市交響楽団,東京公演は読売日本交響楽団,二年後の名古屋公演は大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏だったのに・・・・だいぶん前から自前で編成されている「天理教音楽研究会オーケストラ」が演奏,その上,私の通っていた愛知芸大に今通っている息子がバイオリンの一員として演奏している。カミさんとも愛知の合唱団で出会った。昨日の演奏にももちろんカミさんも出演していた。
 「おうた9番」とともに始まったともいえる私の今の人生。。。本当に感無量だった。愛知の方々との再会もたくさんあってとっても嬉しかった。お互いに31年間で大きく変わったけれど,難しい曲に一生懸命に取り組んだという「共通項」は現在も生き続けているようだった。二度と「あの当時」には戻ることはできないけれど,最高に輝いていた素晴らしい思い出がよみがえってきた。。。。。。
 今は学校のことで忙しく,「おうた」と関わることは,毎年の「おうた演奏会」くらいしかない。でもそのたびに素晴らしい経験をさせていただいてきた。ありがたいことだ。本当に音楽って素晴らしい!!
このページの先頭に戻る 
《18日:水》
 久しぶりで暗くなる前に学校を出て帰路についた。決して明るいうちに帰宅したわけではないけれど,久しぶりのことなので妙に新鮮な気分である。一応の区切りはついたはずなんだけれど,何やかやと忙しく息つくヒマもないくらいだ。きょう校外補導から戻ってから,提出せねばならない書類が何件かたまっていたのを一気に片付けたりしていた。大きな区切りがついたといっても,時間は延々と続いていくわけだから,やはりバタバタしてないと仕方がないのかもしれない。
 音楽会や定期演奏会が終わったけれど,もう少し落ち着かないとホームページの作成までは手が出ないのが現実だ。
 今晩,大学の時の先生のリサイタルに行く予定をしていたんだけれど,疲れがひどくて取りやめてしまった。申し訳ないなあと思いながらも仕方がなかった・・・・六十代最後のリサイタルだったのに本当に悔しい・・・・でもあと三週間ほどで七十歳というのに,元気だなあと感心させられる。私自身は百歳まで生きる予定でいるけれど,先生のように舞台に上がろうという意欲をもって生きていられるだろうか・・・・卒業してからも教えてもらえることが多くてありがたいものだ。
このページの先頭に戻る 
《16日:月》
 忙しい一週間だった。定期演奏会の直前までバタバタしていて心配していたんだけれど,何とか「第23回」を終えることができた。
 掲示板にも書いたけれど,とても良い緊張感が最後まで持続することができた。これは生徒も私たちも同じだったかもしれない。これまでの定期演奏会の中でも,「とても良い」演奏会になったと感じている。会場には多くのお客さまが詰め掛けて下さり,「ほぼ満員」といっても過言ではないほどだった。六百部用意したプログラムが完全になくなってしまって,遅く来た天中生などは十人で一枚,なんてのもあったと聞いた。音楽会のドタバタから一週間。三年生にとっては辛く苦しい日々だったけれど,そのおかげで「良い演奏会」になったのではないかと今でも私は思っている。
 「苦しみや悩みは喜びの種まき」なんて言い方をしたけど,その通りだと思う。楽をしていたら,決して「あの感激」はなかったはずだ。

 定期演奏会を終えた翌15日。東京にある上級教会の「創立110周年」を兼ねた大祭に参拝させていただき,「地方」をつとめさせていただいた。祭典が十時開始なので,始発電車に乗って出かけ,夜八時前に天理に戻ってくるという強行軍を決行した。自分勝手で遊びに行ったわけではないからか,思ったほど身体は疲れていない。神様のおかげだなあと痛感している。きょうも朝から夜までいろいろなことを一生懸命にできるほど元気だった。
 これからは音楽会と定期演奏会の整理にかかるために忙しくなる・・・いつまでたってもゆっくりできないのかなあ〜〜〜

このページの先頭に戻る 
《9日:月》
 明日,三年生は実力テスト。実力テストの前日の部活動はしないという申し合せがあるため,きょう,三年生はお休み。さて,勉強はしているんだろうか??? 音楽会が終わってホッと一息ついて,きょうは定期演奏会の準備をコツコツと整えていった。本当なら,きょうの時点でプログラムは完成していたはずなんだけれど,ちょっとした手違いであと一息。1〜2年生の演奏もきょう見てみたが,まあ・・・がんばるしかないかあ〜〜
 あと五日活動したら定期演奏会が終わる。早いものだ。いろいろあった三年生たちだけれど,よくがんばったもんなあ〜〜〜
このページの先頭に戻る 
《8日:日》
 昨日八日,学校の「音楽会」が終わった。今年はいろいろな事情から音楽会と定期演奏会が一週間ずれた。昨年まで翌日に開催していたがかなり無茶をしていたんだなあと感じている。昨年の天理市民会館での「音楽会」に来場された保護者や一般の方が多く,危険な状態になったため,今年は橿原文化会館で開催。総客席数が千三百余。果たして満員になるんだろうか,空席ばかりが目立って寂しい音楽会になってしまうのではないかと心配し,たくさん来ていただけるように呼び掛けていた。しかし・・・・結果は・・・超満員。席の間に多少の空席はあったけれど,最後には立って見て下さっている方も多く,嬉しい悲鳴をあげていた。
 今年の音楽会ではこれまでになかった二つの新しいことをやってみた。
 一つは,運動会で組んだ色別の練習時間(交流時間が適切?)を設けたこと。先輩たちの歌声を聴いた一年生たちの反応が新鮮だったし,下級生の前で歌う上級生の引き締まった態度や歌声も良かった。運動会でできた「チームの絆」が素晴らしい方向に働いてくれたと感じている。生徒たちの感想も聞いてみたいものだ。
 もう一つは,クラス合唱コンクールの審査を,外部の先生方に来ていただいてしていただいたのだ。本校の校長・教頭・学年主任・音楽科教員も一緒に加わったのだが,これまでは大声大会的なところも見受けられた審査だったが,「音楽」を優先させる方向での審査になったことが嬉しい。音楽科の教員としては耳の痛いところもあるんだけれど,「なあなあ」でやってきていた合唱に大きなメスが入った感じがしていて,私自身が大きくリフレッシュされた気がしている。今回は「音楽の専門家」が来られるということで,実は,私自身が一番緊張してのである。
 さあ,次は土曜日に迫った「定期演奏会」である。実はいろいろなゴタゴタがあって,大変なんだけれど,あと一週間。しっかりと「この一年間のまとめ」をしたいものだ。そして,それが来年への新しいスタートにもなるのである。三年生諸君,今が正念場・・・がんばるしかない!!
このページの先頭に戻る 
作成者のトップに戻る / トップページに戻る