2005年8月の日記帳 

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【31日・水】
 きょう,「献血150回」を達成した。一ヶ月前に献血手帳をみて,「あと三回で150回」と思ってから,快調に半月に一度献血。きょう無事に150回を達成した。
 昼過ぎに筒井にある「奈良県血液センター」に出かけた。ところが・・・水曜日はお休みの日。そういえばそうだった,と気づくのが遅かった・・・「そうだ,きょうは憩の家で献血をやってる日だ!」とすぐに気づいて天理に戻った。思い起こせば,第一回の献血は「憩の家」の献血所だった。大きな不安を抱えて,まさに「清水の舞台から飛び降りる覚悟」をしたのをよく覚えている。何せ注射大嫌いのヨネダだったんだからなあ。
 1990年9月30日の夜,その夜食べた家で作ったお好み焼きによる食中毒に見舞われた。注射嫌いの私は我慢することに決めて,繰り返し襲ってくる痛みに耐えに耐えた。しかし翌日,午前三時ごろ,上げ下しがいつまでたっても治まらず,我慢も限界(上にも下にも出るモノがなくなっていた)にきて「何をされてもいいから(注射されてもいいから,ということ)病院に連れていってくれる?」とカミさんに頼んで病院へ。まず痛み止め,そして水分補給の点滴,点滴中にまた痛み出したので,点滴しながらの痛み止めの注射。何本針を刺されたのか記憶がないくらい。それも太いのを何本もやられた。でも不思議と痛みを感じなかった・・・
 それが快復してどのくらい時間がたったかは覚えてないけれど,同じ針を刺されるのなら,「献血」とやらに挑んで自分から積極的にやってみよう,人にも喜んでもらえるらしいし・・・・天理時報を見てると献血の記事が多く載っているし,ひとつ自分も仲間入りしてみよう・・・と思ったのが献血に行くようになったきっかけである。
 でも始めの十回くらいは,途中で冷や汗が出てきて貧血症状を起こしたり(看護師さんに迷惑をかける,と気の弱い私は思っていた),途中でストップしたこともあった。「さあ,血を抜いてもらうぞ!」を勇んで出かけたにもかかわらず,熱があってダメだったことも二回あった。これは大きなショックだった。職員室で「誰か一緒に献血行きましょう」と声をかけるので,ドラキュラ扱いされたこともあったっけ(笑)。どんな針が刺さるんだろうと無謀にも刺されるところを凝視,あまりの太さに気絶しそうになったりしたこともあったよなあ(笑)。針を刺すときの痛みは・・・・あんな太い針でも大丈夫なのに,なんで予防注射や風邪の時の注射なんかを怖がっていたんだろう(その針は実に細い!!)?? 今は思ってます(笑)
 きょうは「150回」という記念日だったので,初心に戻って天理の憩の家で献血しなさい,と神様が計らって下さったんだろうなと今は感謝している。献血所のドアを開けて入ると・・・何と,そこには吹奏楽部OBの二人が採血を待っているではないか。一人はなんと成分献血。私の後に入ってきたのは,三年前に副担でついたクラスの生徒。献血所で知ってる人に会うことは大変珍しいんだけど,きょうは三人も,それも卒業した生徒たち。嬉しかったなあ。また「150回記念の品」を頂いた時に彼女たちがしてくれた拍手も本当に嬉しかった。きょうの神様の粋な計らいに本当に感謝している私である。
 献血が終わって休んでいる時に,看護師さんや卒業生たちと「70歳になる前日に最後の献血をするのが最終的な目標」と豪語してしまった私。これからも健康に気をつけて快調に献血ができる身体を維持できるといいなあ。 卒業生たちも立派だ。まだ高校生なのに献血をしてるんだからなあ。彼らなら「500回」も夢ではないだろう。がんばって欲しいものだ。とりあえず私は「200回」を目指していきます!!
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【30日・火】
 昨日,きょうと河口湖に出かけてきた。カミさんの両親の金婚式を記念しての一泊旅行である。車で往復したんだけれど,昨日の昼頃,御殿場に着いてから「せっかく来たんだから富士山に行こう!」ということで五合目まで行った。昨日は東名高速道路を走っているうちから「富士山はどこや?」「見えるか?」と騒いでいたんだけれど,近くになってようやく裾野のラインが見え始め,ワクワクしながら五合目を目指した。売店や食堂や郵便局まであって想像以上ににぎやかな場所だった。気温が20℃くらいで脂肪の厚い私は別として,みんなが寒い寒いと言っていた。下界との気温差にビックリ。頂上が何とか見えないかと少し登山道を歩いたけれど,すぐにギブアップ。五合目をバスで出発する頃にはガスが出てきて雲の中に入ってしまったようだった。ホテルに着いて,ようやく雲の上に頭が見えて,それだけでも大感激で一日目が終わった。
 そして二日目。五時半過ぎにカミさんの電話で起こされてカーテンを開けると・・・・左の写真のように,朝の富士山がクッキリと姿を現していた。思わず何枚も写真を撮って,家族中で感激に浸っていた。この一枚は,少し時間がたって河口湖のさざ波が小さくなった時に,湖面に何とか逆さ富士が見えたので撮ったもの。泊まった部屋の窓から撮った写真だから,ずいぶん良い部屋に泊まったんだなあと幸運にも感謝!!(湖面に見える「白い点」はアヒルの形をしたボート。ちょっと邪魔なんだけどどうしようもなかった!!)  みなさんにも「お裾分け」ということで写真を一枚載せました。
 ホテルを出るときに駐車場でも写真を撮ったんだけれど,富士山の頂上がカサをかぶるように雲がかかっていた。そして帰り道・・・浜松付近で雨が降り出し,名古屋の東名阪道ではかなり激しい雨に見舞われて大変だった。富士山にかぶっていた雲と関係があるんだろうなあ,きっと。
 というわけで二日間で900キロほど走るという強行軍だったけれど,何とか無事に帰ることができた。これまでなら私一人がハンドルを握っていたのだが,今回は息子と娘にもハンドルを任せた所があったので,気持ちの上でのしんどさはそれほどでもない(別のしんどさはあったけどね・・・・想像にお任せします)。
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【27日・土】
 夏休みのうちにしておかねばならない「宿題」がいくつか課せられている。きょうはそのうちの一つ,「畑を耕す」をやった。夕方から約二時間半,がんばって汗を流した。耕すことは確かに力が必要だし,しんどいけれど,耕すまでの片づけや準備が大変だ。何種類かの野菜を引き払って耕したんだけれど,自分でも,なかなか要領がよくなったもんだと感心している。カミさんの仕込みが良かったというか・・・・ただ厄介なことがある。「蚊」である。カミさんと二人で畑仕事をしていても刺されるのは私ばっかり・・・同じことをしてるのにカミさんはほとんど刺されない。私は血液型が「O型」で蚊がもっとも寄ってくる血液型らしい。きょうも何発か刺されてしまったけれど,まあ大したことがなくてホッとしている。汗をかくと体重も落ちるし,体脂肪率もきっちりと下がってくれる。おまけにビールもうまい。ほとんど家では飲まないんだけれど,こういう時の一杯は格別!!
 残り少ない夏休みなんだけれど,あと残っている「宿題」をしっかりとやってしまわないと・・・・
 昨日は息子を迎えに「長久手」まで出かけてきた。いまや「長久手」ってちょっと有名?? そう「愛,地球博」をやってる町の名前。「小牧・長久手の戦い」が行われた所で,「古戦場」というリニモの駅もあるんだから・・・昨日の三時に天理を出て,息子の部屋の片づけを少しだけやってすぐに戻ってきた。私があまりに疲れたので,運転を息子に任せてみた。余計に疲れただろ,とカミさんに言われたけれど疲れていたからそれほどの恐怖?は感じなかった。いつも運転しているのは私なんだけれど,初めて楽をさせてもらった。何だか嬉しいような気持ちだ。免許をとってちょうど一年,気がゆるんでくる時期だから気をつけて欲しいんだけどなあ・・・自分は大丈夫・・・これこそが気のゆるみの象徴的な言葉なんだけど・・・
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【25日・木】
 きょうで夏休みの練習が終わった。ふり返ってみるとアッという間なんだけれど,いつもよりも長かったような気がする。充実した夏だったということかな。でも「終わり」となると淋しい気持ちが募ってくるものだ。明日からはいろいろと用事があってのんびりしている時間がないんだけれど,自分のペースで動くことができる数少ない時間でもある。まあ,ある意味でのんびりと過ごそうか・・・
 夕方から「NHK交響楽団」の演奏会に出かけてきた。何年か前に京都コンサートホールに家族で聞きに行って,弦楽器の澄んだ音色に感激,それ以来すっかりファンになってしまった。この三月だったか,やはり奈良で演奏会があり出かけた。今回も素晴らしい演奏だった。他のオケの演奏会ってあまり行ったことはないけれど,あの緻密なアンサンブルには感動させられる。
 CDやDVDで演奏を視聴することはよくあるけれど,やはり生演奏に優るものはない。その楽器の音(振動)が直接耳に響いてくるんだからたまらない。ファゴットの音がトランペットみたいな音に聞こえたり,オーボエとクラリネットの混ざり合った音・フルートとクラリネットの混ざり合った音を聞いて,「え?何の楽器が鳴ってるの?」なんて,ふだん聞いてるはずなのに聞いたことがない音が聞こえてくる「快感」も心地よかった。生徒たちにも本物の生演奏に触れて欲しいけれど,なかなかその機会には出会えないのが悔しい。
 息子が行ってる大学のオケも,なかなかよくがんばっていて,聞きに行くのが楽しい。指揮者が(息子によれば)とっても厳しい先生で,あんなにこわい指揮者は初めてだ,とよく言っている。でもそのおかげでか,演奏はみずみずしくて新鮮だ。
 夏休みの練習が終わった日に,本物の素晴らしい演奏を聴きにいくことができたのは最高の幸せだった。
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【23日・火】
 きょう,携帯の機種変更に行ってきた。実に二年半ぶりの機種変更,よくがんばったもんだ。いろいろと複雑な事情があって私の番がまわってこなかったというのが適当かもしれない(笑)。「Fomaにします?MOVAにします?」と尋ねられてよくわからないから「Foma」にしたんだけれど,だからからか天中吹奏楽部のHPを見ると,トップページの写真がきれいに出ている!感動だった。Movaの時には写真は出てこなかったから・・・携帯を持つようになって八年くらいになるだろうか。天中の教員で携帯電話を持つようになたのは私が二番目くらいだったから,まだ本当に出始めのころだったはず。また,最初に持った携帯が「D」だったので,これまでずっと「D」を使ってきたんだけれど,今回は使い勝手が悪そうなのと,形がちょっと不満・・・だから少し勇気を要したけれど「N」を持つことにした。オジサンになって新しいことに挑戦するのは厳しいけれど,まあがんばってやってみようかな。卒業生で同じ機種を持ってるのもいるし,わからなかれば聞けばいいんだからな。設定をすれば「おさいふ」にもなるらしいけれど,カードでさえ使ったことがほとんどないのに,そんな超絶技巧は使わない方が賢明かな?
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【22日・月】
 この前,いろいろとあってオークションで「i-Mac」を購入した。とりあえずインターネットに接続してみようと考え,いろいろとやってみたら接続ができた。やったーーと思っていつもの自分のMacで接続しようとすると・・・え?!何でつながらないの!!! 何回やっても復旧せず,焦っていくと余計に・・・とやってるうちに元通りに復旧。ホッとしていた。新しいことをしようとするとこういうトラブルに出会うんだけれど,時々は焦っておかないといけないとも・・・・大学に通っている息子にもコンピュータがあったら便利かなあと妙な色気を出したのが原因なんだけれど,もしも向こうでインターネットということになって大丈夫かなあと余計な心配をしている私である。何で復旧したのかよく理解はできていないんだけれど,まあうまくいったから良しにしておくかーー
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【19日・金】
 久しぶりの更新だ。この数日,「おぢばがえり」のページを作るのに一生懸命で,日記にすら手がまわらなかった(ちょっと大げさ?)。何とか一区切りがついたので日記に手がまわった。
 昨日,九時頃に参拝に行った。いつも北礼拝場で参拝するんだけれど,靴を脱ぐところでハッと思ったことがあった。おぢばがえり期間中は,同じ時間に靴を脱ぐと,お日様がジャンジャン当たって靴が熱くなってたんだけれど,今は,日陰になってしまっている。わずか半月ほどだけれど確実に秋に向かってるんだなあと実感。
 もう一つ,きょうの夕方,畑の草取りをしていると,ツクツクボウシが鳴きだしたのだ。驚いた!まだまだ暑いけれど確実に秋に向かってるんだよなあ・・・・
 明日は全校登校日。いつも起きる時間には家を出ていなければならないという辛い日である・・・
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【11日・木】
 毎年恒例になっているOB会主催の「焼き肉大会」が行われた。学校の近くにある東乗鞍山古墳の木陰に集合。数日前から準備を整えてくれた卒業生たち十数人が集まって手際よく段取りをしてくれた。これまでに何回かお世話になっているが,今回が最も周到に準備されていたように感じる。
 暑い最中だったけれど木陰を横切る風は涼しく,汗だくになって焼いたり食べたりしていると気持ちがよかった。普段は空調のきいたところでの活動があるんだけれど完璧なまでの自然の中での焼き肉はよかった。ふだんと違うことをすると生徒たちのいつもとは違った側面を見ることができるのも楽しい。
 明日から一週間のお休みになる。20日の全校登校日には宿題をすべて出さねばならない。これまで休みなしだったから時間を十分に与えてがんばってもらおうという考えだ。しっかりやれよーーー!!
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【9日・火】
 きょうは「B組」のコンクール本番だった。九時過ぎ,緊張するメンバーを「A組」に出るメンバーで見送った。私は駐車場まで行き,バスが駐車場から出るまで見送っていたけれど,メンバーは妙に緊張しているのが愉快?(心配?)だった。私も本番は聞きにいこうと練習の区切りのついたところで会場に向かった。ちょうどリハの時間だったが,全員がコンクールは初めてだからか何ともいえない雰囲気が漂っていた。そしていざ舞台へ・・・・
 三宅先生の指揮棒に合わせて一生懸命に演奏するメンバーたち。緊張してはいたけれどカッコ良かった。外に出て写真を撮る時も元気げんき!! 
 学校に戻って解散する前に少し話をしたんだけれど,全員が「練習の時よりもしっかり吹くことができた」と笑顔でこたえてくれていた。音楽を楽しむという音楽の原点を見たような感じがした。本当に良い表情をして満足気だった。来年からは更にプレッシャーのかかるコンクールになってしまうんだけれど,今回,舞台に立ったことをしっかりと覚えておいて欲しい。本当によくやった。結果は「銀賞」だった。でも他の団体は三年生や二年生が出場しているんだけれど本校は一年18名,二年3名の21名。金賞3,銀賞10,銅賞5だから,その結果の値打ちを判断してもらいたい。
 明日はいよいよ「A組」。練習終了後,神殿に参拝に行った。夏休み前半,おぢばがえりからコンクール練習と,一日の休みもなく走ってきた三週間。ほとんど欠席もなく活動できたことの感謝,大きな事故もなく明日が迎えられることへの感謝・・・いろいろな「感謝」を込めての参拝,声もよく出てしっかりと参拝できていたように感じている。いよいよ明日。一生懸命にがんばってきた成果を存分に発揮してくれることを願っている。
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【8日・月】
  昨日は疲れて休んでしまっていた。きのうときょうの写真を一枚ずつ掲載した。久しぶりの写真だ。
 明日はいよいよ「B組」の本番となった。人数の加減などでA組に入れないメンバー,一年生を中心によくがんばってきてくれた。例年ならば「A組」の練習が中心になり,メンバーに加われなかった部員は放っておかれていたんだけれど,今年は部員数が増えたおかげで「B組」にも出場,十五年ぶりくらいでの両組出場となった。まだ楽器を手にして四ヶ月足らずの生徒が多いんだけれど,ここまで一生懸命にがんばった一年生は初めてだと思う。この経験が来年,再来年に役立って欲しいなあと思っている。
 明日の朝はとっても早い。指揮をする三宅先生も大変だったろうけれど明日もよろしく頼むね。メンバーも今夜はしっかり休んで,明日は気持ちを充実させて臨んでくれよな! 楽しみにしてるからね。
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【6日・土】
 昨日はホール練習だったので緊張していて,おぢばがえりの終わった勢いで一日過ごした感じだったけれど,きょうは違った。ほっと一息ついてしまったからなのか,きょうの一日はしんどい感じだった。明日はもっと疲れてしまうのだろうか・・・
 おぢばがえりの準備は六月ごろから少しずつ整えられていくんだけれど,後片づけは早い。毎年・・・・学生時代からおぢばがえりのひのきしんには関わっていたから,それ以来ずっと,おぢばがえりが終わった直後の2〜3日はとってもさびしい。あの賑わいが一日でどこかに消え去ってしまうのが本当にさびしい。それだけ期間中が充実していたことの証なんだろうけれど・・・もう少しして9日からは学生生徒修養会が開催され,約一週間,神殿周辺がにぎやかになる。それが終われば・・・夏休み。
 きょうの甲子園。第三試合で天理高校が登場。応援を聞きながら,選抜大会の時には天理中学校吹奏楽部があの演奏をしてたんだあ,と妙な気分だった。信じられないというか,はるか昔の夢のような感じ・・・残念ながら負けてしまったけどねえ。そういえば天中吹奏楽部が応援に行った試合,昨年の中学校の夏の大会,春の甲子園,今年の夏の中学校の大会・・・合計五試合,連続勝利が続いているんだ!!
 明日は「立秋」,暦のうえでは「秋」らしいけれど・・・さて???
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【5日・金】
 おぢばがえりが終わった。きょうは兵庫県のどこかで最高気温が38.4度とか言っていた。すさまじい暑さだ。その中で休む間もなく練習。きょうは市民会館での練習だった。今年の正月に,市民会館に順番とりのために徹夜した時,奈良県コンクールが7日から始まると聞いていたので,最悪のことを考えて「5日」を予約していたのである。改装以来,簡単に予約をキャンセルすることができなくなり,きょうのホール練習となったのだった。
 疲れている上にこの暑さだから事故がもっとも心配なんだけれど,大きな事故はなく一日が終わった。小さな事故はあったんだけど・・・・奈良県コンクールまであと数日。身体の調子と心の調子を整えて,より良い状態で舞台に上がって欲しいものだ。
 きょうは六時半までに解散したんだけれど,おぢばがえり中なら「これから食事」という時間の解散はヘンだった。結局外が明るいからか七時過ぎまで生徒たちもいて・・・我々もパレード出発の時間に学校をあとにした。久しぶりで家で食べる夕食はおいしかったなあ。期間中は(年老いた私にとっては?)ご飯の量が多すぎて困ったんだけれど,その分,平生よりは動いていたので体重に跳ね返ることはほとんどなかった。あの調子でこれから生活すると確実に重くなるので気をつけないといけない。
 毎晩,風呂上がりに体重と体脂肪率をはかっているんだけれど,80.5キロと18.5%だからまずまずかな? この分だと明日の朝は確実に80キロを下回っているはずだ・・・・今から食べなければの話だけど。気をつけよう!
 おぢばがえり期間中は精力的に日記の更新を続けたが,アクセスして下さる方も多かったみたいだ。苦労のしがいがあるというものだ。保護者の方にもご覧いただいているようでありがたい。以前,ある保護者の方から「もう少し写真を大きくしていただけませんか」という要望をいただいたことがあるんだけれど,「プライバシー保護」の観点から,明らかに「誰!」とわかる写真は載せないように極力努力している。下の写真も写っている本人はわかると思うけれど,それで勘弁して欲しいと思っている。ご理解をお願いします。
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【4日・木】
 「おぢばがえり」が終わった。毎年,4日のフィナーレでは感無量になるんだけれど,今年もやはり同様だ。生徒たちも暑い中,コンクールの練習と並行してのパレード,連日で本当に大変だったろう。このパレードを見て天理中学校に入学した部員もいるけれど,見るのと実際に歩くのとは大違い。そして,この夏休み前半で吹奏楽部員としての一通りのことを仕込まれる。今年のコンクールは「B組」にも出場するから全員が一生懸命な練習を強いられるため成長も著しい(はず)。一年生も毎日が驚くことばかりだっただろうけれど,毎年こうして吹奏楽部員になっていくのである。これは天理中学校吹奏楽部の生徒にしか味わうことができない貴重な大切な素晴らしい経験だ。本当にご苦労さま。
 明日からはコンクールのための練習になっていく。数日しか残された時間はないけれど,良い演奏ができるように一生懸命に努力を続けていきたい。さあ,またがんばろう!!
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【3日・水】
 きょうも暑い一日だった。本当に身体が溶けてしまいそうなくらい暑かった。疲れがたまっている生徒たちが廊下で練習しているんだけれど,本当に頭が下がる・・・・私自身も中学生の頃,暑くて練習できなかったという記憶はないけれど・・・そういえばーー練習を熱心にしたという記憶もないかあ・・・
 来週のきょうは「A組」のコンクール当日である。残りが一週間となった。「B組」は来週の火曜日が本番。全員ががんばってベストの演奏ができるように願っている・・・
 おぢばがえりが始まる直前に,「先生,この頃日記が全然更新されてないじゃあないですか!」とうるさく言うヤツがいて,しんどい期間中にもかかわらず毎日更新している。負けず嫌いのヨネダの性格を知っての上での発言とわかっていても抵抗してしまうあさはかさよ。
  「今年も去年のようにちゃんと[おぢばがえり]のページを作ってくださいね。」
 またも,挑発してくる発言をしてくる一部の卒業生たち。でも一段落して時間ができたら作ってしまうんだろうなあ,きっと。
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【2日・火】
 きょうは夕方,すっごい夕立がきて,雷がなったりしていた。大雨・洪水警報が発令されていたらしいけれど,私たちの活動に警報は関係ない。夕づとめ終了時に雨さえ降っていなければパレードは決行。夕食の時にもかなりの雨が降っていたけれど,内心では「大丈夫,パレードまでにはあがる」と確信していた。そして,実際にその通りになったから嬉しい。あの雨の中で,パレードがあることを信じて待っていたであろう子供たちのことを思うと本当に嬉しい。暑い日が続いていたから「打ち水」を与えて下さったのかもしれない。警報はパレードが始まるまでに解除されていたらしい。神様の計らいに感謝したい。
 昭和29年に「こどもおぢばがえり」が始まって52年目。帰参者の累計が,きょう,一千万人を越えたそうだ。ずっと昔の人数の中には私自身の数も何人分か含まれているはず・・・きょうに限ってデジカメを持っていかなかったので肝心な「1000万人」の横断幕を写すことができなくて残念! 世の中ってこんなもんかあ・・・・
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【1日・月】
 八月がやってきた。昼間は天理市民会館での練習。いつもとは違った動きをしたので生徒たちは大変だったことだろう。とても良いお天気で暑かったのも「大変」の一因になっている。八月の声が聞こえて,奈良県コンクールまでの残り日数が一桁になってきた。もう秒読みが始まった感じである。
 昨日はパレード後の卒業生の写真を撮ってなかったので,きょうは必死になって忘れないようにして写した。今回のには愛嬌で現役部員が一人紛れ込んでしまっているが,まあいいかあ・・・・
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