2004年1月

作成者のページのトップに戻る / トップページに戻る
  


【31日:土曜日】
 この頃,サボり癖がついてしまって,「日記」ではなくて「時々記」になってきてしまっている。それでも自己嫌悪に陥らない私は幸せ者かもね??? きょうはお酒を飲む会があり,理知的?なヨネダにしては少々醜態をさらしてしまった。でもまあ,明るくパーーーーッといけたから良かったかな。ストレスを持ちながら酒を飲むと「アル中」になりやすいと昔聞いた記憶がある。これまでの私の人生では「酒の勢い」なんてことは全くなかったけれど,なかなか楽しいもんだ。まわりの人を不愉快にしたかもしれないが,私はスッキリして二月を迎えることができる(ハハハハハ・・・・・)
 時間がたつのは早いもんだ。ついこの前,正月になったばかりなのにもう二月。二月は逃げて,三月は去って,四月は新学期。歳を重ねていくと妙に時間が過ぎていくのが早いと感じてしまう。もう少しゆっくりと歳をとっていきたいんだけれどなあ。
 頭の中にアルコールのかたまりがあって何だか変な感じだ。では・・・一月よ,さようなら・・・
ページの先頭に戻る
【28日:水曜日】
 「おつとめ」の音域は大変高い。篠笛の「四本調子」と言うのだそうだが,いまいち私にはピンとこない。ピアノの音でいうと,朝夕のおつとめの最も高い音は「ファ」か「ファ♯」である。五線譜でいえば一番上の線の音になる。
 よく音楽の授業で言うのだけれど,「人間は退化が始まっている」。使わない器官はどんどん衰えていく。声に関して言えば,昔の人は大きな声の人が多かったのではないか。拡声器もないし,大勢の人に思いを伝えようとすれば自然と大きな声になり,同時に高い声になったと思われる。また,今ほど機械化されていないから,身体もよく動かしたと思う。声は「声帯」という筋肉でそのもとになる音が出るのだけれど,世の中が便利になり,身体を昔ほど動かさなくなった結果,声は弱く低くなってきているはずだ。授業をしていると高い声は出ないけれど,低い声は驚くほど出るヤツがいる。
 授業の歌声は「やる気」の喪失にも原因がある。これは私の責任だけれど・・・・朝のおつとめの声が出ないのも結局は「やる気」。ウマを水辺に連れて行くことは誰にでもできるけど,水を飲ませることは難しい・・・・同じことかな。
 おつとめの声に関しては,とても印象に残っていることがある。
 私が中学生の時,卒業式後の参拝の後,教祖殿御用場で「よろづよ八首」のておどりまなびをしていた。私が三年の時,私は鳴り物の「笛」を担当した。隣は地方をされる校長先生だった。校長先生は声がとても低く,「どう歌われるのか」楽しみにしていた。すると校長先生,しっかりと笛の音に合わせて歌われたのである。私は驚いた。と同時に「おつとめ」に対しての校長先生の厳しさをすぐ隣で痛感させられたのだった。自分の出る声でするのではなく,教祖から教えられた高さを守り,一生懸命に歌われる校長先生の姿に感激させられたのだった。
 私は幸いにもテノールという男の高い声。だからそれほどの苦労をせずにみかぐらうたを唱和することができる。ありがたいことだ。でも,声って不思議なもので,「勇んだ気持ち」で臨めば,高い声も案外簡単に出すことができるのである。そう,「陽気に勇んだ気持ち」であれば「みかぐらうた」も歌うことができるはずなのである。教祖の深い思し召しがそこにあると考える私は間違っているかな?
ページの先頭に戻る
【26日:月曜日】
 きょうは「春の大祭」。二時間目まで授業をして参拝に出かけた。昨日の昼前は猛烈な吹雪で「明日の大祭参拝,大丈夫かなあ」と心配していたんだけれど,神様のご守護で学校を出る頃はお日様も出てポカポカと暖かくてホッとした。ところが神殿に着くと曇り空。参拝を終えて帰る頃にはまたポカポカと陽がさしていた。「教祖が身を隠された当時のことを偲び,先人たちの気持ちを察してごらん」と神様が計らって下さったようなお天気の変わりようだった。
 我が身どうなっても,と心を決められ当時は禁じられていたおつとめをする。今の私には想像のつかないような緊張と寒さの中でのおつとめだったに違いない。寒い中だったけれど東礼拝場の下も大勢の参拝者の方で埋まっていた。
 生徒たちは寒さの中で好き勝手なことをしている者もいたけれど,何年かたった時,中庭で参拝させてもらえることがどれだけ素晴らしいことなのか,何であの時に先生たちは「大きな声で」とか「静かに拝をしなさい」と言っていたのかを,理解できるように成人してもらいたいものだ。
ページの先頭に戻る
【25日:日曜日】
 昨日24日,吹奏楽部の卒業生同志の結婚式があり,招待されて出かけてきた。第7回の卒業生でその前後の連中も集まり,同窓会のようになった。披露宴は媒酌人がいなくて,とてもスッキリしたものだった。若者らしい形式にこだわらないステキな宴だった。我々も新郎・新婦にビールを注ぎ,にこやかに話をして,二人の門出を祝うにふさわしいものだった。二人の発案なのだろうが,とても新鮮だった。
 私は二人の共通の恩師として祝辞を述べさせてもらった。最初の乾杯でいきなり酔っぱらってしまい,祝辞を忘れて良い気分に浸っていた。だからロレツのまわらない頭としゃべりで終わってしまった(大笑い)。また彼らの一つ上のラッパ吹きが,宴の締めくくりに「トランペット・ソロ」をすることになっていて,どう間違えたのか私がピアノ伴奏をすることになってしまっていた。数日前から必死になって(尻に火がついたから)練習。何とか弾けるようになっていたものの,酔っぱらって弾く練習はしていなかったので,気になってしまって・・・食べるものはきちんと残さず食べて(笑い)・・・結局,平常心のまま,いや酔っぱらってロレツのまわらない指で弾いた。あつかましいというか,肝っ玉が太いというか,酔っぱらってしまっていて助かったというか(複雑にからみあってる!),何とか終わり,みなさんに喜んでいただくことができた。良かった(ホッ!)。二人の門出に傷をつけぬように神様が働いて下さったに違いない!
 数年前の定期演奏会のOB会で久しぶりで再会。何年か後につきあい始めて,一昨年の秋に出会った時には結婚を決めていたようだ。
とっても嬉しい!!!! お互いを,お互いのカンナで削り合って素晴らしい家庭を築いていって欲しい。
結婚,おめでとう!
ページの先頭に戻る
【22日:木曜日】
 一日中,まるで冷凍庫の中にいるようだった(でも実際に冷凍庫に入って生活したことがないから想像だけの世界だけど)。参拝の行きがけ,あまりの冷たさに耳が痛くなってしまった。自転車に乗ってる連中は大丈夫だったのだろうか。音楽室の暖房も,ふだんなら暑いくらいになるんだけれど,外が冷たいからか教室の気温も上がらなくてビックリしてしまった。
 今,三年生の授業で「小澤征爾」さんのビデオを見せている。前の学校にいた当時に録画をし,編集して,奈良県の教育放送課の研究指定校になっていた関係で「公開授業」で使った,私にとっては宝物のビデオである。「僕の音楽武者修行」という本を26歳の時に出しておられるのだが,それをもとにして,脚本が作られ,俳優さんたちが小澤征爾さんの若き頃をドラマ仕立てで紹介しているものである。
 16歳で指揮者を志して,齋藤秀雄氏に弟子入り。スクーターを駆ってフランスに行き,ブザンソン指揮者コンクールで優勝してからキャリアを重ね,現在はウィーン国立歌劇場の音楽監督をされている。16歳というとちょうど三年生と同じ年頃。何かに目覚めて欲しいと,例年三年生のこの時期に見せているビデオである。
 難しい表現だけれど,音楽の教師には二通りあると聞いたことがある。「音楽教える先生」と「音楽教える先生」である。私は後者の教師である。22年前の「公開授業」の後,当時の指導主事に,「・・・ビデオの内容や授業の運びもさることながら,生徒たちと一緒に視聴しておられる先生の真剣な眼差しが,生徒たちにとって最大のインパクトだったと思います。素晴らしかったです。」との講評を頂き,本当に嬉しかったことを思い出す。もう20年以上も同じビデオを見続けているんだけれど,見るたびに新しい発見があってとても楽しい。
 生徒たちに音楽家になって欲しいわけではない。私は音楽の教師だから,音楽の何かで生徒たちに伝えたい,常にそう考えているつもりだ。今回のビデオの内容や,私が話すことは今すぐにはわからないことだと思う。でも何年かたって,そういえばヨネダがあの時・・・・なんて思い出してもらえれば良い。我々教師は,いつ芽が出るかわからない種を蒔いているようなものだからなあ。でもそれが楽しいと感じる私は,やはり教師なのかなあ・・・・
ページの先頭に戻る
【21日:水曜日】
 夜の七時頃,音楽室で話をしていると,突然の雷。「こりゃあエライこっちゃ!」と急いで学校を出た。出る頃は小降りだったのに,車で走り出すとみぞれが降り始めた。すぐに止んだけれど,「この後に寒気が入ってくるんだな」と覚悟した。今朝の天気予報でそう言ってたから。
 突然の雷に「あっ!雪起こしだ!」と叫んだ私。実はうちのカミさんは舞鶴の出身で今頃の時期は鉛色の雲が低くたちこめ,時々雪が降る。天理とは比べられない量の雪である。そして雪の雪の降り出す前に突然大きな雷が鳴ることがあるようだ。その雷を「雪起こし」と言うんだと,結婚したての頃に教えてもらった。もう20年以上も一緒にいるからか,いつのまにか私の辞書にも「雪起こし」が登録されてしまった。前線が通過して・・・・雷が発生するそうだけれど,仕掛けはどうでも良い。
 明日は日本列島が冷凍庫状態だ,と今のニュースで言っていた。車が凍って動かなかったらどうしよう??? 休むしかない??
ページの先頭に戻る
【19日:月曜日】
 何というか,全身がだるくてたまらない。たぶん運動不足がたまっているためだと思っている。5〜6年前くらいまではよく運動をしていた。自分の運動不足解消のために生徒たちと一緒になって遊んで?いた。天中に着任した頃の連中は遊ぶことにかけては天才的だった。休日の練習日には自主的に早朝野球の招集をし,練習が終わった後はボールが見えなくなるまで野球をしていた。その頃は私も二十歳代で,ムキになって生徒と張り合っていた。疲れるけれど楽しい時期だった。ところが,だんだん運動が苦手な連中が増えてきた。思ってもみなかったような事故が起こったこともあったなあ。またこっちも歳をとって昔ほどムキになって身体を動かすのもおっくうになってきた。私が現役の時もそうだったけれど,いかに短い時間で集中して練習し,何をして遊ぶか,それが部活動の目的だった。この数年,夏のおぢばがえりの時の「ノック」がなくなってしまっている。昔,ムキになってやった連中にとっては「へ〜〜〜〜!」だろうなあ,きっと。
 「昔の連中は・・・」という私自身が歳を理由にして逃げてしまっているのかなあ。何だかそういう自分が情けない。
 こうしてキーボードばっかり叩いているから余計に身体には良くないだろうなあ。あまり考えると自己矛盾に陥るので,これ以上は考えないことに決めよう。さあ,明日も学校だぞ,がんばろう!(変な終わり方で自己嫌悪????)
ページの先頭に戻る
【18日:日曜日】
 きょうも一日練習・・・この頃,気になることなんだけれど,「譜読み」がとっても遅い。何でなんだろうなあと不思議に思う私がおかしいのかなあ。私だって,始めから譜読みがスイスイとできたわけではない。はっきりとした記憶はないけれど,いつの間にか読めるようになっていたというところかなあ。
 私が天理中学校吹奏楽部に入部したのは,一年生の二学期が始まって三週間したころだった。その頃にはすでに少しは楽譜を読めるようになっていた。歌うのも好きだったし,音楽の授業も楽しかった。楽譜を読むのには少し自信があって入部したんだけれど,思ったようには進まなかった。すでに学年当初から入部していた一年生たちは合奏に入って楽しそうに(見えたんだけど)練習していた。しかし私は初心者。クラリネットのマウスピースを持たされて「音が出るように練習せー」と放り出されてビービーやっていた。その頃は「やめたいヤツはいつでもやめてしまえ!」なんていうのが当たり前だったから,どうせやめるだろう,と思われていたに違いない(笑い)。自分でもバカらしくなって「やめたろ!」と何度も思ったけれど,何故か続いてしまった。音楽会の時には「吹いたらアカン!吹く格好だけしとけ」と言われて舞台に乗った。「ちょっとくらいやったら吹いたってかまわないだろう・・・」と思って吹こうとした。すると違うことを私は吹いてしまって,怒られてしまった(笑い)。ちゃんと四分音符で一拍ずつ吹いてるのに,他の連中はその倍の早さで吹いている。「俺が合ってるはずなのに,何でみんなは違うように吹くんだろう??」本当に混乱した。後でわかったことだが,その曲は二分の二拍子だったのだ。だから四分音符は一拍に二つ,というわけだった。「へーーー!!!」それまで知らなかった音楽の世界に足を踏み入れた瞬間だった。何だか大きな感動をしたことは覚えている。先輩はもちろん,一年生の同級生たちもそれなりに指が動いて音を出しているではないか!! 「クッソーー!」と思って,「絶対に俺だって吹けるようになったるぞ!」と思った。「俺にはできない・・・」と弱音を吐いて辞めるなんてことは,ダメ人間のすることだとも思った。
 基礎練習もいやというほどやった。外で一人で練習しているから,たぶん私がいることは忘れられていたのだろう。だからロングトーンをするしかなかったから,基礎は身についた? 教則本をやれ,と言われてやりだしたが,そう簡単に譜面は読めない。でもその当時は根気強かったんだろうなあ・・・今でも覚えていて吹ける部分があるもんなあ。少し吹けるようになると嬉しいからまた練習する。その繰り返しで,どんどん上達していったんだろうね,きっと。
 「根気」と「努力」,勉強も部活動も上達する方法はこれしかない! 更にいえば「好きになること」かなあ。私は勉強は結局いつまでも好きにはなれなかったが,音楽は好きだったなあ・・・と言うよりも,せざるを得なかったのかもしれない。
 今の現役の連中にも,何とか好きになってもらいたいけれど,音楽は難しい,楽しくないとでも思っているのだろうか。楽しいよー。またね,努力したことは必ず身につくはず。根気よくやってみてごらん・・・・
ページの先頭に戻る
【17日:土曜日】
 朝起きると雪が降っていた。思っていたよりも降り出したのが遅かったようで,道路の積雪は全くナシ。おかげで何の支障もなく学校に行くことができた。学校に着くと何人かの生徒がグランドの雪の中ではしゃいでいた。かくいう私自身も神殿に行く道中,いつもよりもウキウキした気分で楽しかった。「雪」って珍しいからそうなるんだろうなあ。
 昼食後,ふとグランドを見ると遠くに誰かがいる。誰だろう,寒いのに・・・と思って近づくと,動かない。もう少し近づくと,何と,赤いバケツをかぶった大きな雪だるまだった。ほうきの腕はグランドに落ちてしまっていたが,なかなかやるもんだ。


 参拝後,生徒朝礼があった。恒例の「ヨネダ先生のお話」は,まず9年前の「阪神・淡路大震災」の話で始まり,災害から身を守ること,命を守ることの大切さを話した。地震などの自然災害だけではない。自転車に関わる事故などを含む交通災害も他人事ではない。また近頃,頻繁に起こっている不審者による事故・災害ももちろん他人事ではない。家族の人たちは,君たちが元気で出かけて,元気に帰ってくることを一番に願っているはずである。だから事故にあわぬように,気をつけてもらいたい・・・そういう話をした。
 実は昨日,「安全教育研修会」という県教委主催の出張に出かけてきて勉強してきたところだったので,その受け売りをしたわけである。『自分は大丈夫』『自分は事故(災害)にはあわない』という根拠のない自信のようなものを誰もが持っている。でも一度でもそうした体験をしたことがあれば理解するのは早い。私も20年ほど前に,自転車に乗っていて車にぶつかるという事故にあい,幸い軽傷で済んだけれど,吹奏楽のコンクール直前で自分も苦労し,生徒たちにも心配をかけた経験があるから,声を大にして言うのだが・・・・事故の経験がないのは幸せなことだけれど,親身になって人の話を聞くことができないのは不幸せなことだ。事故のないことをただ祈るのみだ。
ページの先頭に戻る
【16日:金曜日】
 本当に冷たい一日だった。ところが帰りの車でニュースを聞いていると,何と!明日の朝は雪が積もっているかもしれないと言っていた。「やめてくれよな!」というのが本音だ。天理中学に着任する前,山の学校に通っていた。冬場になるとチェーンが必要だぞ,と先輩の先生に言われていて,「本当?」と思っていたら本当だった。おかげで自動車学校では習ったのか習ってないのか覚えてないくらいだった「チェーン」を巻けるようになったのだった。それ以来,自分の車には一度もチェーンをつけたことはない。一度だったかカミさんの車に巻いたけれど,家を出て百メートルもいかないうちに外れていた(今だから笑えるけど)。雪は何度か降っているけれど,裏道の車のわだちができていない道を,ソローリソローリと走って学校まで行った。車もかわったので今はチェーンも滑り止めも持っていない。明日の朝,ダメだと思ったらバスで行くつもりである。十数年前の2月1日に「大雪警報」が出て休校になったことがあったけれど,そこまでは・・・ねえ。
ページの先頭に戻る
【15日:木曜日】
 やはり睡眠って大切だ。昨日はかなり疲れていたけれど,風邪のひきかけだったのかもしれない。早く休んで睡眠をたくさんとったからか,身体はずいぶん楽になっている。これで無理をすると本格的に風邪になるからしばらくは早く寝るようにしよう。風邪をひいたからといっても「ディズニーランド」は遠いし,風邪をひくたびに「ディズニー」に行って治すわけにはいかないからなあ(笑い)。
 きょうは,ある先生に「教室がメッチャ汚いですよ!」と言われたので,清掃の指示をし,大掃除的な内容だった。当番の生徒たちも諦めたのかしっかりとやってくれたおかげで,本当にきれいになった。さて,いつまでもつかな?
ページの先頭に戻る
【14日:水曜日】
 きょうも冷たい一日だった。風が強くなかったおかげで昨日より暖かく感じたようだ。
 何故なのか,きょうはとても疲れている。ここのところふとんに入るのが遅かったから,疲れがたまってきたのだろうと思う。何せもとから遅くまで起きていることは苦手。冬休みの習慣が残ってしまっているんだろうなあ,きっと。受験を控えている三年生諸君,大丈夫かな? まあ私と比べれば若いから,少しくらい無理をしたってすぐに回復してしまうんだろうなあ。でも今の時期は,できるだけ早寝・早起きを心がけて欲しいものだ。インフルエンザが大流行する,なんていう話も聞いている。
 以前どこかに書いたことだけれど,しっかりと気をつけて過ごし,神様に感謝すること。それが私たちにとって大切なことなんだから。
ページの先頭に戻る
【13日:火曜日】
 夜の七時頃,参拝に行った。いつもなら直接,北礼拝場に行くんだけれど,時間が遅いので南に行き,いつものように回廊をまわった。西回廊から旧天理中学校の建物を見ると,旧2年5組の教室に明かりがついていた。ひのきしん現場になっていて係の方の詰所になっているのかな? 一度,あの教室の担任をしたことがあったので,妙に懐かしく,「自教室から神殿が見える天中でただひとつの教室だぞ!」と生徒たちに言っていたことを思い出す。懐かしいなあ・・・・
ページの先頭に戻る
【12日:月曜日】
 きょうは成人式。私も出席してきた。いやいや「私の成人式」ではない,当然。数年前から,天理市では,成人の学年の小学校六年生の担任,中学校三年生の担任を来賓として招いてくれるようになったのである。それで出かけたわけである。
 大勢の出席者がいたけれど,女の子たちは・・・・あまりに変わりようが激しくて名前を言ってもらわないとわからない。男たちは,多少,髪の色や髪型がかわっていたりしても何とか見覚えのある顔である。懐かしい顔もあったし,気になりながらも何をしているかわからなかった子との再会もあって実に楽しかった。市民会館が改修工事中のため,例年のような「中学校ごと」の部屋がなかったのが残念だったけれど,それでも十分行った甲斐はあった。なかなか難しい世の中だけれど,夢と希望をもって未来に正面から挑んでいって欲しいものだ。
 成人式が終わってから参拝に行った。ちょうどお昼前で,お日様がご機嫌でポカポカと暖かな日よりだった。祖霊殿の参拝を終えて教祖殿で中庭に降り,東側の植え込みに目をやると,何と! 梅の花が咲いている! この数日,寒い日が続いているけれど,着実に「春」に向かって季節は動いているんだなあと実感。数日前から,何かしらピンクのものが見えるなあとは思っていたんだけれど,花がついているとは思っていなかった。夕方になって寒くなってきたけれど,神殿中庭の「梅」を思い出すと,何かしら暖かくなってくるように感じる。
ページの先頭に戻る
【11日:日曜日】
 寒いというよりも「冷たい」一日だった。以前,三島に校舎があった時の吹奏楽部練習場には旧式の石油ストーブが一台あっただけだった。古い木造の建物で天井がとっても高く,窓はサッシだったけれど隙間だらけの風通しのよい部屋だった。「家の造りようは夏を旨とすべし」という言葉そのものの部屋だった。ストーブの近くだけが熱く,あとは「寒い」だけだった。今の音楽室とは比べものにならないほど粗末な暖房だった。でも,その中で必死になって音程を合わせよう,頑張るぞと思いながら努力をしていた・・・・あの頃が懐かしい・・・・でも戻りたくもないなあ。
 昼頃,今月の24日に結婚式をあげる卒業生二人がやってきた。披露宴で,彼らの先輩のラッパ演奏があり,私がピアノの伴奏をすることになっている(いた?)ので,ヤンワリと「先生,ちゃんと練習してくれてますか?」とハッパをかけに来てくれたようだった(そうでないことはよく理解しているけど,こうした方が話が面白いから,わざとやってます。先生らしい冗談だと笑って見過ごすこと!)。実は一ヶ月ほど前に一度練習しかけたんだけれど,「難しくてできないかも」と放ったまま今日に至っていた。さっき少しやってみると,気合いが入ったからかなあ,少し光が見えたような感じがしてます(これで本番がうまくいったら拍手喝采ものです!)。
 明日は練習休みで,いろいろな用事をするんだけれど,久しぶりで車の掃除もできる。先週,朝は寒くて凍っているし,夜真っ暗になってからしか帰宅できないし,汚れるままで乗っていた。明日はちょっときれいにしておく予定。でも朝はかなり冷え込みそうな気配だ。
ページの先頭に戻る
【10日:土曜日】
 きょうは「奈良県アンサンブルコンテスト」の中学校の部が行われた。本校からは「金管八重奏」が出場。ガブリエリの「八声のカンツォン」を演奏。2年4名,1年4名という{若い}編成で頑張った。結果は「金賞」。生徒たちは発表の時に「キャーーッ!」と大きな歓声をあげていたが,今の段階ではあれが限界の演奏だった。だから「仕方がないかなあ」という気持ちと,「もっとできたのに・・・」という悔しい気持ちが交錯している。悔しさの方が強い。
 昨年のアンコンでは,同じ「八重奏」で出たのだが,並び方が,超・カッコ悪くて,かなり情けない思いをした。だから今年は,同じ恥をかきたくないので,並び方についてはかなり口酸っぱく伝えていた。おかげで舞台に載った瞬間,高木先生と,「よし!今年はいいぞ!」なんてことで大喜びしていた(笑い)。演奏は平べったい薄っぺらなものに終始。音が響いてこない・・・もっと一番ラッパ同士の対比が出ていたら・・・内声の濁りがもっと少なければ・・・というものになってしまった。だから「悔しい」。これからしっかりと吹き込んで,少々のことでは動じない響きのある音を目指して鍛えていきたい。
 2時過ぎに学校を出て,コンテストの三分の一くらいの時間しか会場にいなかったんだけれど,とても長い時間に感じた。おかげで身体もかなり疲れてしまっている。明日は朝から練習・・・よくやるなあ本当に。半年後に全員で「大歓声」をあげられるように,頑張ろう!
ページの先頭に戻る
【8日:木曜日】
 寒い!!一日だった。朝起きると鉛色の空。家を出るとみぞれ?が降り出して,フロントガラスやボンネットの上を小さな氷の粒がいっぱい跳ねていた。風が強かったからか雲の動きが早く,天気の変わりようも激しかった。6日が「小寒」だったから暦通りになっているんだなあ,と妙に感心してしまう。明日の朝の最低気温の予想が「マイナス2度」というからタイヘンだ!
 教室は閉め切って暑くなりすぎたり,空気が悪く(汚く?)なってきたりするが,音楽室は私が管理している教室なので,暑くなりすぎぬように,また空気が濁って?きたら窓を開けたりして気をつけているつもりである。これからの季節は空気が乾燥したりして,風邪もひきやすくなるからより一層気をつけていこう。
 大学の時の音声学の先生(耳鼻咽喉科のお医者様)が仰っていた。「寒さでは風邪はひかないよ。寒くなると空気が乾燥して,喉も乾く。それで免疫力が落ちて風邪をひきやすくなる」と。換気に気をつけてマメにうがいをすること,これが私のこの時期の健康法である。
ページの先頭に戻る
【6日:火曜日】
 午後三時少し前,一人で音楽室でCDを聞こうとして立っていると,「あれ?揺れてる??」と思って少し間をおいて,グラッ,グラグラーーッと揺れ始めた。ずいぶん長く揺れたように感じたのは,一人だったからだろうか。その少し前からテレビなどを置いてるラックがグラグラしていておかしいとは思ってたんだけれど・・・・CDを聞くのをやめてテレビを凝視。NHKで天気予報の前だったのか,近畿・東海の地図が出て震度を示していた。奈良県は「4」。阪神・淡路大震災以来のことではないかな,「4」というのは。少しして,天理市では「3」と示していたが,あの建物の三階だったためか,ものすごく揺れた感じがする。震源地は熊野灘。情報の早さには恐れ入った。愛知県でも「3」となっていたので,すぐ息子にメールを送ったら,立って練習していたようで,めまいがしたのかな?と思ったくらいだったそうだ。たぶん学校の練習室だから,本物の鉄筋コンクリートの建物で,その程度にしか感じなかったのだろう。
 先にも書いたけれど,「情報」の早さはすごい。昨夜,掲示板を見るとアメリカに行ってる卒業生からの書き込みがあった。インターネットの世界というのは,隣に住んでいても,地球の裏側(日本から見て)に住んでいようと全然関係がない。素晴らしい世界だなあと痛感する。世の中には頭の回り過ぎるのがいて,それを悪用しようとする輩もいるけれど,私程度の知識であればその心配は皆無で,有益に利用することが可能である。誰が発明(という言葉は不適当だと思うけど,これしか見当たらない)したのかは知らないけれど,昔の人が知ったら驚くだろうなあ・・・・でも,「猿の惑星」みたいになったら大変・・・・つい2〜3日前,下の息子がビデオを見ていて,ついつい出てきてしまった。
 明日からとうとう学校が始まってしまう・・・・みなさん,遅刻しないように!!
ページの先頭に戻る
【5日:月曜日】
 きょうから練習を開始した。と言っても十日に行われる「アンサンブルコンテスト」に出場する金管八重奏のメンバーだけである。かなり多くの有志の部員も来ていたようだ。アンサンブルの練習も思うようには進んでいかないが,夏を目指して今しておかねばならないことを吟味しながら,いろいろと文句を言っていた。かなり厳しいことを言っているけれど,何か大切なモノが欠けてしまっているように感じるのは私だけ?? 午後からは八日に配ろうと思っている課題曲の楽譜をコピー。(正規に買ったものを練習用にコピーしています。)何とか準備はできた。三学期って実際には二ヶ月ほどしかない。また冬校時で練習時間が極端に少ない。あっという間に新学期が来てしまうのが例年の流れ・・・・今年はそうならぬようにしなければ!!
 昼,カミさんから誘われて「おせち」に行ってきた。家で餅は食い飽きているのだが,おせちの「おつゆ」は超おいしい! その「おつゆ」と水菜と少し焦げた炭で焼いた餅の取り合わせは,超・美味である。これを食べると,「三学期も頑張るぞーー」という気持ちになれる。明日の「おせち」はどうなるかわからないけれど,練習は午前中。早起きして頑張らねば・・・
※おせち・・・天理教恒例の行事で,正月に神殿にお供えされた餅を切り分け,すまし汁でいただくもの。天理教の信者でなくても頂けます。1月5〜7日,午前10時〜午後1時までです。場所は,天理駅(近鉄・JR)で降りて,そのあたりの人に聞いて下さい。
ページの先頭に戻る
【1日:木曜日】
 みなさん,新年あけましておめでとうございます。
 昨夜,紅白歌合戦が終わってから,息子二人とともに神殿参拝に出かけた。ここ数年,いつも真夜中に参拝させていただいているが,参拝者の方も多く,なかなか賑やかである。例年に比べればとっても暖かくて,寒さはまったく苦にならなかった。
 そして,朝からとても良い天気だったので,昨日できなかった車の掃除を,朝からやった。我が家の月次祭は「1日」のため,午後から月次祭のおつとめをさせていただいた。暖かな一日で大助かりだった。
 歳をとってきたせいなのか,新しい年を迎えたという感慨が年々減っていっているような気がするのだけれど,私の勘違いなのだろうか。コンビニも開いてるし,車の松飾りもだんだんしなくなってきている(私もしていないけど)。テレビは賑やかに(騒々しく?)いろいろな番組をしているし,ふだんよりも喧噪の度合いが大きいように感じるのも私だけだろうか?
 理屈を言っていても仕方がない。確かに,新年を迎えて気持ちは改まった感じだし,「さあ!やるぞ!」という意気込みもある。この一年を,最高の一年にできるように燃え始めよう!!(すぐに灰にならぬように徐々に・・・)
ページの先頭に戻る

作成者のトップに戻る / トップページに戻る