2003年9月

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【30日・火曜日】
 日記を書くようになってから,ちょうど一ヶ月がたった。いろんな日があったけれど,何とか続けられた。素直に嬉しいし,そんな「真面目な?」自分を褒めてやりたいと思う。明日から十月になるので,また新しいページを作る必要があるんだけれど,できればきょうのうちに作業ができると良いのだけれど・・・・さて?
 以前にもどこかに書いたんだけど,最近,掲示板への書き込みが極端に少なくなってきていると感じている。「それは日記のせいですよ」と誰かが言ってくれたことがあったけれど,何となくわかるような気もする。「掲示板を早く設置して下さいよ,卒業生のために・・・」と提案してくれた人の書き込みは近頃ないし・・・・とヨネダらしくイヤミを言って,今月の日記をとじましょうか。(笑い!)
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【29日・月曜日】
 今朝,いつものように七時半ごろに学校を出て,神殿に向かった。途中,天理大学の体育館のあたりで,「キンモクセイ」の香りが漂っているのに気がついた。今年初めての香りに思わず歩くのが遅くなってしまった。できるだけ鼻の穴を広げてゆっくりと身体いっぱいに「香り」を吸い込んだ。あの甘い匂いは本当によい。ストレスや疲れがスーーッと消えていく感じだ。連休の疲れを感じながら歩いていた時だったから,いっぺんに気分がよくなってしまった。その時だけだったけれど・・・・香りによる癒し,なんていうけれど,人工のモノではなく,本物の自然の中で得られるモノ・・・・恵まれた中での生活には大きな喜びを感じる。
 今の杣之内校舎に移転してから十年目になる。私は移転した当初から,毎朝神殿までは歩いていっている。かなりの雨が降っていても,長靴をはき,大きな傘をさして出かける。途中には天理高校第二部の農事部の生徒さんたちの丹精による四季折々の花が植えられている花壇がある。毎朝,それを眺めながら歩くことができることって,かなり贅沢なことなのかもしれない。以前の三島にあった校舎では味わうことができなかった「喜び」である。それらを眺めながら,時には香りを楽しみながら,「きょうは何をしようか,何をしなければならないのか?」と頭を巡らせながら,一日が始まるのである。あと十日ほどで迎える「定期演奏会」に向けてこれからどんどんストレスが増していく。しかし神様は「キンモクセイの香り」で疲れた心を癒して下さる。本当にありがたいことだ!
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【28日・日曜日】
 ここ数日,夜が忙しくて??日記に集中できないでいる。昨夜までの2〜3日はテレビで見たい物があって遅くなり,きょうは演奏会で出かけていたために帰りが遅くなって,疲れたため,大量に書こうという意気込みがない。まあこんな日があってもいいかな? 昔の私なら,「それではいけない!」と大真面目に考えて無理をしていたに違いない。ただ明日があるだろうと自分では信じて疑わないのだが,果たしてどうだろう! もしかすると明日の夜は存在しないかもしれない。漠然とした自信みたいなものを持ちながら誰もが暮らしているんだろうなあ・・・何か,哲学者にでもなったようなおかしな気分だね・・・さあ,風呂に入って寝よう! おやすみなさい!
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【27日・土曜日】
 きょうは「OBバンド」の初めての練習があった。現役の連中も含めて30名ほどが集まっただろうか。気心の知れた連中が集まって話をするのは楽しい。彼らが現役の時は,たぶん我々教員のことを「ケムタイ」ヤツと思い,避けることが多かったと思うのだが,卒業してしまえば,同じ「仲間」に変身してしまう。いつまでも「イヤな」関係を保つなんて私には我慢がならない。私たちはストレートに怒ったり褒めたりするから,中学生にとってはキツイことかもしれない。でも本当に音楽が好きな連中は戻ってきてくれる。年に一度の「七夕さま」みたいな「OBバンド」だけれど,戻ってきて教師の本音のところも知って欲しいものだ。今年は「おぢばがえり期間中」にも実にたくさんの卒業生たちが足を運んでくれた。嬉しい・・・・吹けなくてもいい,ただ,座っているだけでも構わない。みんなで合奏しよう!きょうは私は吹かなかったけれど,本番では「白い音符だけ」でも吹くつもりだからね。二週間後の今ごろは,演奏会を終えて,酔っぱらって寝ていることだろう。楽しく飲むために・・・今は精一杯やっていこうと思う。さあ!卒業生諸君,待ってるよ!
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【26日・金曜日】
 久しぶりでお日さまが顔を現わし,さわやかな秋晴れの一日となった。昼からは,さわやかさを少し通り越して「暑さ」がぶり返した感じだったけどね。明日からはどうなるんだろう? 朝,起きてテレビをかけるとどのチャンネルも北海道の地震を知らせていた。ついこの前に修学旅行で行ったところだけに,他人事とは思えない感じがした。この頃,日本各地が揺れている。本当にこわい・・・
 吹奏楽部の定期演奏会で,1〜2年生で演奏するステージがある。スウェアリンジェンの曲をやる予定なんだけど,技術的には簡単な作品のはずなんだけどなかなか思うようには進まない。あーー疲れた。きょうは早く休もう・・・
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【25日・木曜日】
 昨日もきょうも雨がたくさん降った。今から思えば,23日に運動会ができたのは大変ラッキーだった。肌寒いくらいの中で,しかも曇り。きょうの昼ごろ,大阪府の北部に「大雨洪水警報」が出されていた。このあたりでは,そこまでは降らなかったけど・・・
 生徒たちは疲れている様子だった。私は昨日ゆっくりと過ごすことができたからリフレッシュできた感じなんだけど,生徒たちは必ずしも「ゆっくり」ではなかったようだ・・・・事故の報告は聞いていないからいいけど・・・・
 さあ,次は音楽会,そして吹奏楽部の定期演奏会だ! あと半月ほどは目のまわるような日々が続く。でも頑張るぞ!
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【24日・水曜日】
 運動会の翌日で疲れているだろうということで,練習はお休みだった。吹奏楽部には珍しい休みだが,音楽は休止符の使い方で生きる場合もあるし,たまには「休止符」をおかないとね。忘れ物を取りに,一瞬だけ音楽室に寄ったが,私も久しぶりでのんびりと過ごすことができた。きょうの休みに行こうと思っていた『献血』に出かけてきた。

 私は注射が大の苦手である。針を見ただけで心臓がドキドキし,現に,風邪をひいて医者に行き,「注射はイヤだ」という私の言い分を聞き入れず,無理矢理注射をされてしまって,気分を悪くし,倒れたこともあるほどだ。それが,あることを転機に変わった。
 1990年9月30日の我が家の夕食は「お好み焼き」だった。満腹に食べ満足していると,夜の九時過ぎから腹が痛くなってきた。上げ下しをくり返し(食事中だったらゴメンナサイ!),夜中の三時頃には出る物もなくなってしまっていた。どうにも我慢ができなくなり,カミさんに「何をされてもいいから(注射をされてもいいから,が適当!)病院に連れて行って」と救急病院に連れていってもらった。痛み止めの注射をして,脱水を起こしているからと点滴,途中で痛みがぶり返してきたので,点滴しながら再度痛み止めの注射。朝方帰宅し,注射のためか夕方までグッスリ眠った。
 この「食中毒事件」で私は変わった。以前から「献血」には興味があった。しかし,針を刺すことに対しての恐怖感から行くことはなかった。でも,この事件の後,同じ針を刺されるのなら,自分から進んで,人の役に立つことができる『献血』に行ってみよう!と考えたのである。天理教では「献血ひのきしん」が盛んである。健康な身上(天理教では身体のことを『身上』という)を神様からお借りしていて,それを感謝し,人の役に立つことができる行いだからだ。
 今から思い出すと最初の頃はかなり不安だった。口数が多くなり,恐さをシャベリでごまかすという感じだった。実際に献血の途中で貧血を起こしたこともあった。冷や汗が出て大変な時もあったけれど,献血で死ぬことはない,と聞いていたから平気だった。また看護婦さんたちは私の不安をよく知っていて,いろいろと励まして下さるし,教えて下さった。今でも針を刺される時は痛い。でも,苦しい思いやしんどい思いをして治療のために注射をされることを思うと,その痛みも「ありがたさ」にかわってくる。十年前,学校の移転作業の直後,私は体調をおおきく崩してしまい,薬を服用しなければならなくなった時がある。薬を飲んだら献血はできない。その3〜4年は本当に情けない思いにかられていた。でも復活して,久しぶりで献血に行った時の,あの感激は今も忘れることができない。その後も何度か体調を崩し,行けなかった時もあったけれど,何とか細くても続けることができている。
 健康でなければ献血はできない。少しでも長く人の役に立てる「献血」を続けられるように気をつけていきたい。
 69歳まで献血が可能なのだが,70歳の誕生日の前日に献血に行くことが一つの目標だ。

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【23日・火曜日】
 第57回運動会が行われた。20〜21日は雨が降り続き,今年も23日に実施するのは無理なのかなあと思っていた。ところが・・・きょうは一日中曇り,また気温も上がらず肌寒さを感じるほどの「素晴らしいお天気」のご守護をいただいて開催された。今年の三年生,内心では「大丈夫なんだろうか??」とかなり心配をしていた。しかし,いざフタをあけてみると素晴らしい運動会となった。これが伝統の力と呼ぶべきものなのだろうか・・・・よい方向で期待が裏切られたので良かった。
 天中生は,この類いの「裏切り」をよくやってくれる。たくさんの保護者も来られる。卒業していった先輩たちも見に来る。また天理小学校の子供たちもたくさん来てくれていた。その中で精一杯競技する生徒たち,声を張り上げて応援に没頭して興奮している生徒もいる。実に無邪気である。「優勝」という二文字に向かって実に真剣だ。その姿は目標に向かって実に素直である。
 本校の教育目標は「朝起き・正直・働き」である。朝早く起きて登校し,優勝に向かって素直にがんばり,一生懸命に声をだし競技する姿(働き)は,本校の目標を実現した姿といえる。優勝して喜ぶ姿,それとは逆に,悔しさを押さえて我慢する姿・・・・でも,天中生全員が一生懸命に「優勝」に向かって進んだのは事実である。一日たてば,悔しさもきっと「充実感」にかわる。間違ったことは何もしていないんだから,悔しく思う必要はない。生活指導部長の私は彼らに大いに助けられている。胃を病むことがないのは,私が不真面目だからではない。生徒たちがエライおかげだ。
 三年生は,あと半年ほどたてば卒業だ。それまでに一生懸命になって欲しい。勉強も後輩たちの指導も,すべてに一生懸命になってもらいたい。「一生懸命な姿」ってカッコいいものだ。決してダサイことではない。自分自身の将来(進路)についても真剣に一生懸命に考えてみよう。「夢」を持つことが大事だし,それに向かって進むことはもっと大事なこと。もっと良い方向で「期待を裏切ってくれ」,楽しみにしている。
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【22日・月曜日】
 きょうは一週間の始まりの日。ここのところ恒例になっている「校門指導」を行った。私は現在,生活指導部長という立場ももっている。生活指導というと「こわい!」というイメージを私自身が持っているんだけれど,何か,ピッタリこない。「いやいや,お似合いですよ」という誰かさんたちからの声が聞こえてきそうだなあ・・・・クラスの生徒が言うには,私は『独裁者』らしいので,自分の物差しをしっかりと押し付けてはいる。私は「恐くてまじめな人」と思っている人も多いようだけど,実は「ふざけた」人間だ。

 と言っても,大学に入学したての頃,先生や先輩,同級生たちからは「くそマジメ」と言われた。専門である声楽の先生からは,「オレはヨネダを不真面目な人間にしてやる!それがコイツのためだ!」なんて,訳のわからないことを言われていた。卒業の時には「ずいぶんと不真面目になったが,オレの目から見ればまだまだマジメ過ぎる!」と褒められたのかなあ???よくわからない。
 今の歳になったら,その当時のまわりの人たちが本当に心配してくれていたんだなあと感じることができるようになってきた。私のまわりには,たくさんの?不真面目な人たちがいて,今も「不真面目さ」を教えてもらっている。「真面目であること」は決して悪いことではない。しかし,苦境に陥った時,真面目だけしか知らない純粋培養の人間は簡単に折れてしまう。それをみんなで心配してくれたのかなあ? お節介なことだけど幸せものかもしれない。「真剣」でなければならないけれど,「深刻」になっちゃいけない,ということかもしれない。大学時代に仕込まれたおかげなのか,実は十年前にもやった「生徒指導部長」の際も,胃袋を病むことはなかった。知り合いの中には胃潰瘍になってしまった,なんて人もたくさんいたんだけど・・・・諸先輩たちのおかげか,健康な毎日を過ごすことができた,というか・・・・不真面目だったのかな?
 
 私は長年吹奏楽の指導をしてきた。音楽というのは厳しい。誰かが違う音を出したり,音程が合ってなかったりすれば,いくら心を込めて演奏しても美しい音楽にはならない。細かなことでもきちんとできていないと,本当のよい音楽はできない。だから,部活動ではないけれど,学校生活を送っている生徒のちょっとした服装の乱れや態度が気になって仕方がない。細かいことに口うるさいのは私の「職業病」かもしれない。
 校門指導をしていて楽しいことは,たくさんの生徒たちと「おはよう!」という挨拶を交すことができるということ。生徒たちには迷惑な話かもしれないが,こちらの挨拶にこたえる彼らの姿がとっても楽しい。しんどいことでも発想を変えて楽しくしてしまう術を身につけた今のヨネダを,大学の時の先生や先輩がみたらどう思うだろうか? 聞いてみたいものだ。

 昨日もきょうも,何か私の頭のネジが外れたような感じがする。ちょっと「こわれかけ」かな? でも自分で楽しいと思っているから勘弁して欲しい。

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【21日・日曜日】
 きょうは天理市の行事(はばたき祭)と「奏でる一手一つ」という天理教内の行事が重なり,生徒たちも大変だったろう。昨日から降り続いていた雨が心配だったけれど,ありがたいことに生徒たちが自転車で移動する時間帯は,何とかカッパなしで動ける程度だったので助かった。神様が働いて下さったと感じている。
 先週は運動会の練習で大変ハードな毎日だったが,休日は休めない。これは生徒たちだけでなく,私たち教員も同じことである。生徒は三年間で卒業だけど,私は20年以上もそれが続いている(だからこれが当たり前?)。

 私は大学を卒業して奈良県の公立高等学校の教員を三年間勤めた。縁があって,天理中学校に引き寄せていただいたのだが,天理の採用試験が,なんと修学旅行の出発の日だった。神様が「おまえは公立の学校で頑張るんだよ!」と仰っていると考えて受験を諦めていたが,いろいろあって受験を決めた。当時,私は二年生の担任をしていたので,「何で担任が修学旅行の時にいないんだ?」と思われて当然だった。出発の前日,校長先生のところに行き,「お願いがあります。明日だけ欠席させて下さい。明日のうちに必ず修学旅行に合流しますから」と伝えた。その時の校長先生の言葉が忘れられない。しばらく考えて,こう答えられた。
 「わかりました! 修学旅行という大きな行事前ということを承知の上で,お願いに来られたのだから,相当なわけがあるのでしょう。教頭と学年主任には私から伝えます。 でも・・・もし良ければ,理由を教えていただけますか?」
 私はその言葉に感激してしまった。理由も尋ねずに,私のことを信じて承知し,許して下さった・・・
 そして更に,「私は校長として,生徒の進路に関しての責任を持っています。と,同時に,先生方の進路についても責任を持っています。ですから,先生の申し出に,相当の覚悟を感じたので,理由も聞かずに承諾したのです。」
 この校長先生のおかげで現在の「天中のヨネダ」が存在しているのだ。教頭は「私学の教員は・・・・」と法的なことを言って引き止めてくれた。校長から「欠席」のことを聞かされた学年主任も快く受け入れて下さった(理由は聞かずに)。
 教育「公務員」という立場を振って,私学の教員になるということが教頭先生には理解しにくかったようだ。でも私は,立場や世間体でなく,自分をここまで育ててくれた「天理」で恩返しをさせていただきたいのです,校長先生と教頭先生に申し上げた。三年目でボチボチこれから使い物になっていくくらいのところだったので,こういう校長先生からもっと仕込んで欲しかったという気持ちはあった。

 「天理」で育ててもらった私だが,もっと正確に言えば「天理の吹奏楽」に育ててもらった。だから「恩返し」と思って吹奏楽部の活動をさせてもらっている。でないとハードな吹奏楽部ではやっていけない?? この頃では,少し「アダ」で返してしまってる感もある。しっかりと「恩返し」になるようにしないとイカン!

 一日目欠席した修学旅行の時に担任したクラス,二年生だったが,今でも『同窓会』には呼んでくれる。私よりも十歳下の初担任の後輩たちと今でも付き合うことができる・・・・教師って素晴らしい仕事だと思う。

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【20日・土曜日】
 台風15号が前線を刺激しているらしく,朝からずーーっと雨が降り続いている。久しぶりの雨で乾いたグランドにはちょうどいいな,と思っていたが,何ごとも「過ぎる」ことはいけない。明日は,市の行事と「奏でる一手一つ」という教内の行事があるんだけれど,雨が降ると大いに困ってしまう。何とか雨だけは降らないでいて欲しい。
 きょうの練習は休みが多かった。今週はずーーーっと良いお天気が続いた中での運動会練習や昨日の「予行」。それでかなり疲れがたまってきている感じである。私も,昨夜,少し寝るのが遅かったのもあって,きょうは一日中,身体がだるかった。
 実は天理中学校の運動会。今の杣之内の校舎に引っ越してきてから,私の記憶が正しければ,5勝4敗である。つまり,「23日」に予定とおり行われたのが5回で,延期になったのが4回ということ。ちょうど季節の変わり目でほとんど毎年,天気と相談しながらの運動会になっている。5勝のうちの一回は,5年前のスッゴイ台風で休校になって,翌日,ムリムリ実施した一回も含まれているので,4勝4敗1分けというのが適当かもしれない。体育主任の先生の心労もキツイに違いない。でも,お天気が相手だからなあ・・・さて,今年は23日に順調に開催されることを切望している!
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【19日・金曜日】
 きょうも大変よいお天気で暑い一日だった。その中で「運動会予行」が行われた。
 昨年八月,ひょんなことからメガネを作った。以前から視力が落ちてきていたのはわかっていたのだが,メガネ屋さんに行く勇気がなかった。その日は,うちのカミさんが有無を言わさずにメガネ屋に・・・でもお店から出た時には感動してしまった。こんなに便利なものがあった!!と。そして,一ヶ月ほど前になるかな,メガネ屋に寄ると,メガネに取り付けるサングラス?があり,買ってしまった。今週に入ってから,5〜6限目は運動会練習でグランド。サングラスをかけて吹奏楽の指揮をしたり,きょうの予行で動いた。あんなにまぶしかったのに,まぶしくない!感動ものだった。でも鼻の頭だけが日焼けしてしまったみたい・・・
 私は新しい物を試すのが苦手である。しかし,そんなことにこだわらなければ,もっと快適な生活が送れるのかもしれない。何度も作っているにもかかわらず使っていない「入れ歯」も試してみようかな?? でも肩が凝るしなあ・・・・何か新しいものを求めようと考えている(だけ?)私は,やはり,若い???  [このところ????で終わることが・・・]
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【18日・木曜日】
 昨日の日記に「私はいい加減なヤツ・・・」みたいなことを書いたからか,きょうは少しハッスルして,シメキリ前のことをいくつかやり遂げた。やり遂げた,というほど大袈裟なことではないのだけれど,「明日にしたらいいや・・・」を「ようし!やるぞ!!」とやっただけのこと。他人からみれば当たり前のことだから,何をやったかは書かないことにしておこう。(笑い)
 以前,クラスの担任をしていた時,いつも学級通信を書いていた。話題は生徒たちがたくさん提供してくれるのでネタがないことはほとんどなかった。でも時々はネタに困ることもあった。そんな時は「ネタのないことをネタにして」書いたものだった。このネタはもう少し先にとっておこう・・・って使ってしまったことになる???
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【17日・水曜日】
 いま,いろいろな仕事が並行して進行中である。人からは,要領良くテキパキと仕事をこなしていると思われている私だが,実は,違う。〆切りに間に合ったことはほとんどないし,いつも〆きり間際になってお尻に火がついてから必死になることが多い。今,もっとも必死になっていることは,今週の土曜日に行く「やまと郡山城ホール」での音楽会と定期演奏会の打ち合わせである。
 実は,今から20年以上前のことになるけど,奈良県吹奏楽連盟のコンサート委員会で,連盟主催の行事の『進行』を任されたことがあった。内心では「やったあ!オレの実力にやっと気がついたか・・・」なんてことを考えていた,くそ生意気な人間だった。前年の『進行表』を預かり,一週間ほどかけて手書きで完成させた。その頃はワープロなんてものはなく,手書きでするしかなかったのである。進行表を完成させた私は,意気揚々と奈良県文化会館に出かけていった。すると・・・・
 散々な目にあってしまった。冷静に考えればそれで当然。向こうは,その道のプロ。まだ教師になって二年目。連盟の委員になって半年程度の若僧が,プロと対等に渡り合おうとした私がうぬぼれ過ぎていた。ケチョンケチョンにけなされ,打ち合わせが終わる頃には半泣き状態だった。もっとも厳しかった言葉は・・・「この進行表は,ただうわべだけを真似してるだけで,先生の頭の中に,具体的な映像が見えてないよ」
 この苦い経験のおかげで翌年,同じ立場で仕事をしたが,「よう勉強したなあ」とほめられた時は嬉しかった。
 天理中学校に赴任してから,このことは大いに役にたった。現在,本校の行事,修学旅行や校外学習などの行事で活躍している『進行表』を初めて作ったのは私だったのだ。今でこそ何人もの教員がそれを作ることができるようになってきたが,実は修学旅行も,校外学習も,当初合宿も,その最初の「進行表」の作成者はヨネダだった。始めのころは,ずいぶんイヤミも言われた。でも,その行事を担当するすべての教員が,同じ『映像』を持つことは,その行事がうまくいくかどうかの大きなポイントであり,生徒の安全を確保する大切なモノなのである。大将の指図で家来が動く,そんな旧式のやり方が当たり前だった当時の天中で,私は何人かの理解者とともに果敢に挑んできた。いま思えば懐かしい思い出である。
 次の土曜日に出かける「やまと郡山城ホール」だが,久しぶりのプロとの仕事で,実は大変緊張している。でも,なかなか仕事は進んでいかない・・・・どうしよう・・・・
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【16日・火曜日】
 きょうから運動会練習が始まった。まず一日目は入退場行進とラジオ体操。一昨年,私が学年主任でもった三年生たちのことが思い出される。運動会練習の一日目,入場行進をしたのだが,どの先生も驚くような大変立派な入場行進をしてくれた。この学年,勉強はあんまりだったが,とてもノリの良い学年で,行事での活躍は素晴らしかった。あの初日の入場行進練習の様子は今でも忘れられない。
 本校では入場行進の練習から吹奏楽部で生演奏を行う。天中では当たり前のことなんだけれど,他の学校では当たり前ではない場合が多い。この三月まで校長をしておられた林先生はいつもみんなの前で言って下さっていたものだ。今年は一年生が大勢入部し,音もよく出ているのだが,音程が合ってないのが気になって仕方がなかった。「おやさとパレード」の時は,かなり前からしつこく言い,それなりに時間もかけたから,案外サマになっていたのだが,昨日までの三連休では一度もマーチの練習はしていないんだから・・・・仕方がないかーーー
 朝夕はめっきり秋らしくなってきた。ちょうど運動会練習をしていた頃は一番暑い時で,ふだん日光に当たらずに活動している私にとってはキツイ時間だった。吹奏楽部員も同じこと・・・・23日が運動会だが,明日から毎日,昼からは練習となる。また暑いのかなあ・・・
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【15日・月曜日】
 きょうの午前中,恒例?の「定期演奏会のポスター配り」を行った。部員たちが12のグループに分かれて,市内のお店や詰所をまわってポスターの掲示をお願いにまわったのである。事故もケガもなく全員が戻ってきてくれてホッとしている。それぞれがどのような体験をしたかは聞いていない。でも何かしら得たものがあると信じたい。毎年,この時には「事故があったら・・・・」と心配しながら学校で待機しているのだが,裏切られたことは一度もない。嬉しいことだ。
 「M2」としていた阪神が久しぶりで勝ち,ヤクルトが負けたために,ついに『優勝!!』。「M2」になってからずいぶんじらされたけれど,そのおかげで甲子園での優勝! 特に阪神ファンというわけではない私だけれど,何年か前からは金に物を言わせて補強をして勝つどこやらの球団に腹をたて,必死でがんばる阪神に大いに共感していた(素直にファンと言わないひねくれ者のヨネダ??)。星野監督の「アンチ・ジャイアンツ」精神と私の共感が通じるものがあったのかな? 素直に嬉しい!! 監督インタビューで選手たちをたたえる監督の姿も,星野らしさが出ていてとっても良かった。 私もいつの日か,ああいう風に生徒たちをほめてやりたい・・・・
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【14日・日曜日】
夕方から家の用事で出かけたため,実はもう日がかわってしまっている。でも寝る前なので「14日」としている。何か書き続けなければならない,という脅迫観念にとらわれている感じがする。良くいえば「真面目で誠実」なのかもしれないけれど,「何もそこまでしなくてもいいんじゃないの?」とも感じる。こだわりというか,頑固というべきかはわからない。中身もない文章なんだけれど「これで一応書くことができた!」とホッとしている今宵のヨネダである。みなさん,おやすみなさい!
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【13日・土曜日】
 夕方五時半頃帰宅,久しぶりで畑を耕す作業をした。カミさんのおとうさんが昔から畑を借りて作業をしておられて,うちのカミさんはそれを見ていたようだ。始めの頃は「あーだこうだ」言いながら文句ばかり言って私のことを責めていた(指導してくれていた?)が,この頃では,上手に手なづけられてしまって,自分でも感心するくらい上手にできるようになってきた。
 タネをまいたり,苗を植えたりするのはカミさんの仕事なんだけど,土を掘り起こして畝(うね)を作るのはもっぱら私の仕事である。吹奏楽部の練習があるので休日はない! でも少し早い目に帰って,長靴に履き替え,クワを持って畑に入ってしまうと夢中になってしまう。時間はかかっても作業が完結するから成果がすぐ目の前に現れてわかりやすい。私は体重がかなり重い目なので汗をかく量も半端ではない。それこそボタボタと流れるような汗を流しながらの作業となる。しかし汗をかいてすぐに風呂に入り,ビールを飲むのは最高の気分である(ふだんの私はほとんどアルコールは飲まない!)。まだまだ要領がわかってないので,むやみにクワを振り回してしまうため,すぐに疲れてしまうんだけれど,もっと要領よくできないものか,と考えてやってはいる・・・・力任せの畑仕事だけれど,割と深くまで掘るので,いつだったかニンジンは立派なものができた。でも私は掘るだけ・・・・マメに草引きをしたり,時に肥料を与えているカミさんの日々の丹精のおかげで収穫が得られるんだけど,私も少しは関わっていると思うと,嬉しい。
 生徒を育てることも,自分自身が向上していくことも,「畑仕事」と同じなんだろうなあ・・・・でもわかっていて,なかなかできない。実は畑仕事もいつも勇んでやっているわけではない。なかなか腰があがらないんだけれど,一旦あがってしまうと,楽しくて面白い。同じやるのなら,カミさんに言われる前にやればいいのだが・・・・・まだまだ甘いなあ・・・
 きょう耕した場所には何が植わるんだろうか,楽しみだ。
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【12日・金曜日】
 運動会に向かう応援団の「結団式」が行われた。これまで三年生たちが暖めてきたものを,1〜2年生に初めて伝える日だ。どの組も『優勝』の二文字を目指して突き進んできたのだが,これからの一週間は三学年をどのようにまとめていくかが課題になってくる。生徒たちの企画力や統率力が問われていく期間となる。
 私も十年ほど前はギラギラしていて,三年生の担任をした時に,生徒たちの前にしゃしゃり出て行って,1〜2年生たちに『説教』したこともあった。今から思うと顔から火が吹き出てきそうだ。それに奮起したかどうかは不明だが,五回三年生の担任をして,三回「応援」で優勝してくれた。生徒よりも私自身が大喜びしたことの方が多かった気もする。生徒よりも熱くなることが「ヨネダらしさ」だったなあ。
 きょうも暑い一日だったけれど,生徒たちのパワーはすごかった。きれいに整列して,とても良い表情で座っている彼らを見ると,本当に頼もしい。これが天中生のスゴイところだ。優勝を目指してみんな,頑張れ!
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【11日・木曜日】
 きょうから普通授業となり六時間目まであった。今年の私の時間割は午後からがかなり多い。午前中に4コマ続いても勢いで頑張れるんだけれど,昼からの二時間はキツイ。
 今は音楽会に向けてのクラス合唱の取り組みになっていて,曲を始めたところなので,一時間中ずーーっとピアノを弾きながら大声を張り上げている。始めの譜読みをきちんとしておかないと,後になってからの踏ん張りがきかなくなるので,最初はかなり厳しく歌い込ませる。「押し付け」そのものだ。でも,この段階で頑張った(というより『頑張らされた』が適当かな?)クラスは音楽会直前になってグーーンと伸びていく。でも逆の場合は悲惨だ・・・・歌い始めたら笑われてしまう。
 そう天理中学校はなかなか厳しい。上手なクラス合唱はシーーーンとして聞いて,歌い終わればとっても大きな拍手をする。しかし,逆の場合は,笑い声がでてしまう。一応,「みんなが頑張ったんだから静かに聞いてしっかり拍手をしましょう!」と私は話している。それでも先に述べたような「大変すなおな反応」がなされる。これって実はスゴイだと思うんだけどなあ。それを知ってる私は,授業で,脅かしたり怒鳴ったりしてやるんだけれど言ってわかるんなら苦労はしない・・・「感性」という言葉を音楽の世界ではよく用いる。感性って何なのか,私にはよくはわからない。しかし,良い合唱と良くない合唱を見極めることができる天理中学校の生徒たちって,鋭い「感性」を持っているのではないだろうか。そこで教師ができるって,実はとっても厳しいこと??
  
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【10日・水曜日】
 夕方,定期演奏会のポスターの試し刷りが出来上がったのを持ってきてくれた。彼は高木先生の同級生で,一年に一度,この時期にだけ世話になっている人だ。昨年まではポスターのデータを「CD-R」に焼いたものを学校まで取りに来てもらっていたのだが,今回は,「添付ファイルで送って下さい」という連絡が入り,授業が一段落してから送ったのだった。それが月曜日。今回で定期演奏会は「20回」となるのだが,彼の世話になるようになって果たして何年目になるのだろうか,はっきりは覚えていない。コンピュータで創るようになった当初は,「達人」にすべてをお願いしてできていたのだが,この頃では自分でできるようになってきた。きょうも彼いわく「先生はデータを自分で創ることができる人だからいいですね」と褒めてくれたのかな?? また「新しい機械が入ったから,これまでよりずっと安く簡単にできるようになってますから,利用して下さいね」と勧誘もされてしまった・・・・
 ポスターは金曜日には出来上がってくる予定である。いつもと代わり映えしない物だけど,私なりには工夫して一生懸命創ったものなのです。残念ながら私には「絵」や「デザイン」のセンスはゼロ。何せ小学校・中学校と五段階評価の「2」だったからなあ(笑い)。
 お金があればプロに頼んで創ることも可能だ。しかし,第一回の定期演奏会のポスターやプログラムは,原稿を和文タイプ(知ってる人は少ないだろうなあ)で作成,活字のない字は何と「手書き」。古いコピー機で文字を拡大したり縮小したりして,学校の印刷機で一枚ずつ印刷したものだった。その頃の生徒たちは一生懸命に夜遅くまで,手を黒く汚しながら懸命に創ったものだった。自分(たち)でできることは,できるだけ自分(たち)でやりたい。これが私の中に流れている基本である。
 さて,音楽会のこともこれから忙しくなっていく。また時間に追われて進む時期がやってきた。でも・・・結局は・・・(笑い)
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【9日・火曜日】
 昨日に続いての激しい夕立ちが襲来。一ヶ月ほどお天気が遅れているなあと感じる。ちょうど「おやさとパレード」に出発する直前になって,「きょうのパレードは大丈夫だろうなあ・・・でも雷が鳴ってるからなあ・・・」と言いながら待機しているような錯角にとらわれてしまった。そう,今ごろ「夕立ち」がやってくるから・・・・
 いま,学校は運動会の応援の準備で三年生たちが頑張っている。ただ一回しかない「三年の夏」を謳歌している。今週の金曜日には結団式が行われ,来週は午後からの運動会練習が始まる。暑い中だけれど本当に一生懸命だ。これだけ頑張れる生徒って本当にすごいと思う。天中生は部活動も熱心だと言われる。運動会,そして来月の十日にある音楽会などの行事への取り組みも素晴らしい。一つのことに頑張ることができる者は何をやっても頑張れると私は思っている。考え方は甘いかもしれない。でも生徒たちの可能性は私たちには計りしれない。勉強も大事だけれど,もっと大事なものを見逃して欲しくはないなあ。誰にでも,神様は宝物を与えて下さっているはず。それを見つけるのがいつになるか,それだけの違いだと思う。そのためには,やはり色々なことに取り組むことも大切なことだろう。
 生徒たちがうらやましいなあと感じることもある。何せ彼らはこれから人生が始まっていくんだから・・・・でも私もあきらめずに始めていきたい!
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【8日・月曜日】
 三時半頃だったかものすごい夕立ちがやってきた。合奏をしていて,ふと外を見るとスッゴイ雨。しばらくすると雷も大活躍を始めた。降り終わってみると短時間だったけれど,大きなドラマだったような感じである。しばらく雨が降ってなかったけれど,すさまじ過ぎた雨だった。雷もいくつかが近くに落ちたようだ。音楽準備室にいると稲光りと大音響とが一緒に轟いて,思わず廊下に出てしまった。
 きょうの練習は「お楽しみ」の関係のものを合わせてみた。コンクールと違って気楽に合わせることができる曲は楽しい。けれどもっと音程が揃っていたら,もっときれいで柔らかい音なら・・・と思ってしまうのは,いけないことなのかなあ。もっと欲張りになって欲しいなあと思うのは私の過剰な期待なんだろうか。明日は「火曜日」なので,生徒を拘束する時間は少し短くなる。休みにはできないところが少し踏ん切りが悪いかな?と思ってしまう。
 ずっと前のことになるけれど,それまでの方針を大きく変更し,毎週月曜日は練習休み・休日の練習は半日だけ,と打ち出したこともあったが,卒業生たちには大きな反発を食らった記憶がある。「何でオレたちの時にやってくれなかったんだ!」というヒガミが大半だったけどね(笑い)。いろいろな事情から現在は「火曜日」が基本的には休みとなっている。明日は,4限授業だし,まあいいか・・・っていう感じだ。三年生もたまには応援の準備に行くのも良いだろうし・・・・ヨネダらしくない優しさ???
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【7日・日曜日】
 きょうは一日練習。定期演奏会まであと約一ヶ月,今が大事な時だから・・・・いろいろなタネをばらまいておいて,これから取りかかっていくのである。私にとって二学期の前半は「地獄の日々」となる。十月に行われる「校内音楽会」,そして翌日の「定期演奏会」が続くからである。いくら疲れていても,声が出なくなっても休むわけにはいかない過酷な日々になった年もあった。しかし,生徒にもよく言うことだけど,「しんどい道を通った後には必ず喜びや感動」がやってくるのである。
 きょうの合奏は,卒業生の中村くんに任せた。音楽会の準備委員会が明日もたれるので,その準備のためである。今回は天理市民会館が工事で使えないため,郡山の「やまと郡山城ホール」に会場を移して実施する(定期演奏会も同様だけど)。だから準備も大変!高木先生と二人で「あーだ,こーだ」と激論?を交しながら「草案」ができた。中村くんのおかげで本当に助かった。昨年も「副指揮者」として大西くんが頑張ってくれた。昨日のところにも書いたけれど,そうやって私の代わりになってくれる人材が育ってきてくれているのは嬉しい。
 まもなく「OBバンド」の通知が発送されるはずだ。今回も何とか楽器をもって「白い音符」だけでも吹くつもりだ。
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【6日・土曜日】
 午後から卒業生が二人訪ねてきてくれた。13年前の吹奏楽部卒業生同士での結婚の報告に来てくれたのである。結婚は来年の一月。私が赴任してからの卒業生同士の結婚は彼らで三組目になる(はず・・・)。同じ釜の飯を食った者同士というのもいいだろうなあ。私もまだ30代の半ばでギラギラしていた時期である。
 中学生というのは人生の中でも大きく変わっていく時期にあたる。小学生はこども,しかし,高校生はおとなと言っても過言でないくらい身体も大きく生意気になっていく。ちょうどその変わり目の時期が「中学校」なわけだ。入学した時の様子と,卒業する時の様子は本当に他人といってもいいくらいの生徒もたくさんいる。その「大きな変わり目の時期」の生徒たちに関わることができる中学校の教員って本当に素晴らしいと思う。私の人生が「音楽」に向かって進むようにキッカケを作ってくれたのは中学校の時の先生だった。それだけ影響力もある立場だから「責任」の重さも感じている。私のために人生を誤った??卒業生もいるかもしれない・・・・そう考えると愉快?? なんていうから,「ヨネダはふざけた教師だ!」なんて思われるかもしれない。でも,実は教師である私の方が生徒たちから多くのことを教えてもらっている。いろいろな考え方や,卒業してからの生き方に感動させられることも多い。教員という仕事は「金もうけ」はできないけれど,多くの出会いの機会を与えられている,素晴らしい仕事だと思う。
 最初に書いた,卒業生の結婚式でのスピーチのネタを仕入れなければいけない・・・人前で話をするなんて恥ずかしがり屋の私には(ハハハ,またホラを吹いてる!)・・・・彼らと同じ学年の卒業生が,あと二人,結婚すると聞いている。彼女を連れてぜひ訪ねてきてもらいたいものだ。おめでとう!
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【5日・金曜日】
 きょうの掲示板を見ると,卒業生の村井くんが,この日記のことを褒めてくれていました。長く続くかどうかは別の問題なのですが・・・
私は学校で,授業の時も,吹奏楽部の練習の時も生徒をほめることがほとんどありません。いつも不機嫌そうな顔をして文句ばかり言ってるように自覚しています。かなりレベルの低い教師ですね,これは。 「うん!そうだ,そうだ!」とうなづきながら読んでる生徒や卒業生も多いんだろうなあ(笑い!)。
 この日記に関しては,村井くんが思っているほどの苦労はしていないつもりなのですが,ほめてくれたり,「頑張って下さい」なんて応援をされてしまうと本当に嬉しいものです。うまく誉めることができるようになりたいものです。でもね・・・不機嫌で怒ってることの多い私ですが,時々は誉めることもあるんですよ・・・・ここだけを読んでると「ヨネダって最低!」と思われるかもしれないから,一応の事故弁護だけはしておきます。
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【4日・木曜日】
 「学力テスト」が終わり,いよいよ練習が始まりました。昨日に比べれば,やや風があったためか涼しいと感じる一日でしたが,とても良いお天気で,十分,暑い一日でした。しかし,この暑さの中で,金管楽器の連中は外に出て練習・・・・やはり我が吹奏楽部は「文化部」ではありませんね。
 よく一年生が入学したころ,「中学校に入ったら身体を鍛えるために運動部にはいる・・・」という声を聞くのですが,そこらの運動部よりもキツイと私は思っているのですが,違っているかなあ・・・・確かにスポーツに必要な瞬発力は必要ありませんが,持久力や忍耐力は他の部ではなかなか身につかないと思います。また,人と合わせるということは(今の時代には不可欠だと思うのですが),できれば大変素晴らしいことです。
 夏の「おやさとパレード」を見て入部してくる生徒もたくさんいます。しかし,「見る」のと「実際にパレードする」ことが,こんなにも違うのかと驚くはずです。練習では,誰もが「きれいに見えるように歩こう」「きちんと音を出して」と思いながら練習しているはずなのですが,現実は甘くはありません。また,教える私たちの側も,生徒がどれだけ努力していても,できていなければ『ダメ!!』と遠慮なく言います。努力していれば良い,そういう甘い世界ではありません。でもそういう厳しさを越えてできるようになれば,沿道の方たちは喜んで下さるし,大きな声援や拍手をして下さいます。今年は「今年の天中はよく音が出てるなあ」と多くの人から褒めていただきました。あの拍手や喜びを一度知ってしまうとやめられない・・・・それが吹奏楽部の醍醐味だと言えます。また三年生だけでなく,一年生も含めた全員が同じ喜びを味わうことができるというのも素晴らしいことです。
 今は定期演奏会に向けての取り組みを始めていますが,きっと大変なこともあるでしょう。(特に三年生にとっては運動会との兼ね合いがねえ・・・)でも,それを乗り越えていけば必ず「大きな喜びや感動」を味わうことができると思っています。先のことまで考える必要はありませんが,一日一日を大切にして,しっかりと目標に向かっていきましょう。
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【3日・水曜日】
 新学期が始まって三日目になるのだが,実はまだ練習を再開していない。きょうと明日,「学力診断テスト」があり,その前日ということで部活動をしてはいけない日になっている。始業式の日の練習は可能だったけれど,弁当持ちとなると大変なので,昼間での自由練習としたのである。吹奏楽部は練習時間や日数が格段に多い。しかし,意外なことに,基本的に毎週火曜日の練習は「お休み」だ。この頃は「自由練習」とか「自主練習」という形になることが多いけれど・・・・また,10月11日が「定期演奏会」なので,それまではかなり厳しい日程での練習になる・・・・でも十年前に比べれば練習する時間はかなり少なくなっているはずである。
 練習に多くの時間を費やしたからといって,それに比例して上手になるわけではない。でも中身が伴っていなければ「無駄な」時間になってしまう。難しい問題だ。今の部員たちに私が一番望んでいること・・・・たくさんあるけれど,とにかく『音楽を好きになって欲しい』ものだ。「好きこそモノの上手なれ」ということわざがある。まさしくこの通りなんだけどなあ・・・・

 何を隠そう,私も天理中学校吹奏楽部の出身であるが,一年生の二学期に入部したての頃は,よく練習をサボっていた。面白くなかったからだ,なかなか上手にならないから。その頃は「やる気のないヤツは勝手に辞めてしまえ」という雰囲気があったから,余計にイヤになっていた。ところが三学期の終わり頃になると,だんだん音を出せるようになり,指も動くようになってきた。気がついたら「ハマって」いた。毎朝六時半頃から早朝練習を開始。土曜日も日曜日も関係なく練習をしていた。一人で吹くのも楽しかったし,友だちや後輩と勝手にやるアンサンブルも面白かった。面白いと練習するし,もっと工夫したらもっと面白い演奏ができるんじゃあない?? という具合に「ハマった」。その挙げ句が,今の歳になっても離れられないでいるわけだ。

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【2日・火曜日】
 きょうも暑い一日だった。
 「昨年の今ごろも,こんなに暑かったのかなあ?」 と思い出そうとするんだけれど・・・・思い出せない。特に私は物忘れがヒドイ。記憶を司っている部品は大きいのだけれど(ずいぶん遠回りな表現で自分でもおかしい),うまく回路がつながっていないのだろうか?? (私のことを知ってる人は転げ回って笑っているかもね)
 おそらく過去の事は美化されてしまっているんだろうなあと思う。「昔はよかったよなあ・・・」という,アレかな!
 でも時間は前に向かってしか進まないし,過去のことを美化し過ぎてしまって,今に嫌気を感じるのも何か哀しい。

 昨夜は,このページを創るのに思った以上に時間がかかってしまって,寝るのが12時を越えてしまった。私は子供のころから夜更かしは苦手。今でも12時を越えて寝ることなんてほとんどないほど。たいていは11時半までに寝てしまっている。きょうは「ドラマ」を見ていて,日記への取り組みが遅くなってしまったので,また遅くなりそうで・・・・二日目にして,危うく挫折しそうな夜だった。

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【1日・月曜日】
 いよいよ新学期が始まった。しかし「暑い!!」一日だった。残暑という言葉は適当ではない。明日から夏休みが始まる,と言ってもおかしくはないような本格的な暑さである。ただでさえ暑がりで汗かきの私には大変だ。
 きょうは,このホームページの体裁を少しだけれどかえてみた。いつまでも同じで,私自身が飽きてきたというのが実のところである。最初にこのHPを立ち上げる時,最初のころはすべてを完成させてから公開しようと思っていた。しかし作成を進めていくうちに,「ホームページには『完成』ということがないのでは??」ということに気がつき,できたものからアップしていった。立ち上げてから少したって,フレームを用いたものに体裁をかえた。これは大きな変化だった。でもそれ以来,大きな変更はしなかった,というよりは面倒だったのかな?
 今回,『日記』に初めて挑戦してみることにした。うまく運営できるのか,きちんと続けることができるのか,ネタはあるのか・・・・心配は尽きないが,それで躊躇していては前には進まない。新たな冒険を求めて出発した自分を褒めてやりたい気分である。もし挫折したら,これを読んでくれる人たちと一緒に,私自身も私自身を笑おうと思っている。
 何か気がついたことや面白いネタがあったら知らせて欲しい。一応,下に「メール・リンク」を張っておくから。

 

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