2003年12月

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《31日:水》
 朝からずーーっと雨が降り続いている。きょうは部屋の中の大掃除。今年は自分の机の周りをかなり念を入れて整理した。どこが片づいたのかはよくわからないけれど,何となくスッキリした感じで嬉しい。机の中から何年も前の写真が出てきたり,状差しの中に十年ほど前の手紙が入っていたりしてタイムカプセルを開けたような感じでワクワクしながら・・・作業を進めた。
 うちのカミさんは何でもかでも捨てるのがうまい。私は反対で,「何かの役にたつかもしれない」「これは捨てられない大事なもの」とか言ってなかなか捨てられず,物が増えていく一方。「一年間使わなかったモノは捨てること」なんてカミさんから言われてスタートしたんだけれど,自分なりにはよく捨てたと思っている。
 何とか新しい年を迎えることができそうだ。娘が7時半過ぎに帰ってくるので,それまでに風呂に入って,いつでも飯が食えるようにしておくつもりだ。そのついでに,今年最後の日記もしたためているわけである。
 今年のトップニュースは何といっても「第20回定期演奏会」である。私の天理中学校での活動そのものと言っても過言ではない。ここ数年,低迷していて「そのもの」とい言うのは少しひっかかりがある。しかし,続けてきたからこそ「20回」を迎えることができたわけだ。「始める」には膨大なエネルギーを使ったけれど,「続ける」にはその何倍もの力が必要だった。しかし,卒業生が育ってくれて,私の負担も軽くなった面もある。しかし,やはりエネルギーは必要だった。それを支えてくれたのは,卒業生たちの力だ。本当にありがとう。心から感謝している。
 生活指導部長に復活,なんていうトラブルもあったけれど,何とか健康でこの一年を過ごすことができた。どこかで書いたけれど,あと十年で定年退職を迎える。まだまだ若いつもりだが,いつのまにか時間は確実に前に進んでいる。明日からの一年は,どういう一年にしていこう?? そりゃあ決まっている。「天理中学校吹奏楽部」の復活の一年にすることだ。
 この日記も少し欠けたけれど,何とか順調に4ヶ月を経過した。メールでの反応が思ったほどないのが少し不満なんだけれど,本音を語ることと,続けることが第一だからこれでいいのかも・・・
 本年もいろいろとありがとうございました。ではみなさん,よいお正月をお迎え下さい。
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《30日:火》
 昨日も書いたけれど,きょうは我が家の「餅つき」だった。ずーーと以前から12月30日と決まっており,毎年,「今年はもうやめとこうや・・」という声が出ながらも続いている。この頃では息子たち二人が頑張ってくれるので,私の負担はぐんと少なくなってきている。つく数は少ないけれどなかなか楽しい。知らない人は「ペッタンペッタン」が餅つきと思うかもしれないが,準備と片づけはかなり面倒である。当日も,我が家では「かまど」に釜をのせ,薪をくべて,せいろで餅米をふかす。だから火加減とか,せいろをおろすタイミングとか,口では言えない難しいポイントがいくつかある。ほとんどが「勘」なんだけれど,これまでの経験からくる「勘」だから,なかなか難しい。また杵を持って「ペッタンペッタン」する人が目立つけれど,実はその横で手水をとるのが難しい。
 何はともあれ大きなトラブルもなく無事に終わった。子供二人の活躍は頼もしい限りだ。今は私が「現役」だけれど,いつの日か,息子が私に代わって仕切る時がやってくるだろう。明日はいよいよ大晦日だ。
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《29日:月》
 実に一週間ぶりの登場だ。この一週間,実にいろいろなことがあった。
 23日,初めて行った「ディズニーシー」。暖かな一日でコートも不要なくらいだった。「シー」というだけあって,あちこちに見える海,水。「ファストパス」をうまく利用して,時間の割には多くのアトラクションを体験できた。「ショー」もなかなかのものだった。帰る直前に「フォトエキスプレス」に行き,園内で写した写真を預けて出た。開演直後の9時過ぎに入場し,閉園の10時までウロウロしていた。風邪気味だった状態で出かけたんだけれど,「ディズニーパワー」のおかげで風邪はどこかに消えてしまっていた。写真が届いたら,かわいいイラストが入った他ではできない「オリジナル写真」が出来上がっていた。たいへん満足だ!!
 24日,息子が「日本クラシック音楽コンクール」の全国大会に出場。残念ながら「○位」には入らなかったが,全国からの予選を通過した15人の一人として参加できたことを誇りに思う。半月ほど前に伴奏者の人が入院してしまうというトラブルに見舞われたが,とても上手な方に伴奏をお願いすることができ,本番では「二人で納得のいく演奏ができた」ようだ。
 25日の朝,夜行バスで天理に戻ってきた。そして夕方・・・「訃報」が入り,すぐにお悔やみに行き,翌日は遷霊祭,27日は告別式と続いた。身近な方だったのでショックは大きい。
 27ひ〜28日に年賀状を完成させ,投函。28日は一週間ぶりで車の掃除。そしてきょうは恒例の「網戸掃除」,大小合わせて20枚以上の網戸を水洗い。きょうは暖かだったので助かった。午後からは曇って困ったけれど。そして,明日の「餅つき」の準備。我が家では毎年12月30日に,ペッタンペッタン式の餅つきをするのである。道具を水洗いして・・・・もう身体中がだるい。ふだん使わない筋肉を使っているからか,あちこちが変にだるい。まだ十時前なんだけれど,もう寝る。
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《22日:月》
 ようやく二学期が終わった。何だか終盤になっていろいろなことがドドーーーッと押し寄せてきた感じだったけれど,何とか一区切りがついた。そして,まもなく出発・・・そう,東京に行くのである。体調は思わしくないけれど,やはり行かないわけにはいかない。25日の朝に着く予定であるが,さて・・・楽しみもあるんだけれど,実は本来の目的があるのである。まあ帰ってからにしようか。
 明日の浦安の最高予想気温は13度。穏やかな一日になってくれることを祈って,行ってきまーーす!
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《21日:日》
 風邪がスッキリぬけないまま一週間が過ぎてしまった。私としてはたいへん珍しいことなんだけれど,部の練習に行くことができなかった。明日の夜から,夜行バスで東京に行くというのに・・・ちょっと心配。休むべき時には休まねばならないという「十年前の教訓」を生かすことができなかった。でももう後の祭り・・・早く休んで明日に備えるしかない・・・
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《20日:土》
 きょうも一日中,寒く冷たかった。ついこの前までは「暖かいなあ」「ほんまに冬が来るんかいな」なんて言ってたのを「空の神様」が聞いていたのかもしれない。過日の長期予報では「暖冬」と言ってたけれど,全体的に暖かなわけではなく,寒い時はやはり寒いはず,と覚悟は決めているけれど,いざ「北風小僧の寒太郎」がやってくると降参してしまう。
 二学期も残すところあと一日,22日が終業式となる。いろいろなことが進行中なので落ち着くことはないけれど,「今年もあと少しだなあ」という感慨はあるなあ。まだ風邪がスッキリしないままなのが心配なんだけれどまあ何とかなることにしておこう。久しぶりで合奏だったんだけれど,力がまったく入らないし,力を入れるとその反動で大きなため息が出てくる,その繰り返しだった。
 さあ,明日は練習,頑張るぞーーと思ってるんだけど・・・
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《19日:金》
 きょうは寒い!! 朝,まだ体調がすぐれないので参拝に行かずに学校にいたんだけれど,ちょうど生徒たちが参拝を終えて学校に登校する頃に,みぞれ,というより「ひょう?」「あられ?」かな? 多くの生徒が「痛い!痛い!」と言いながら駆け込んできた。その後,大きな雷。その後,寒冷前線が通り過ぎたのかな?強く冷たい風が吹き始めた。夜も寒い!! 明朝はもっと寒いらしい・・・・
 火曜日と水曜日に早退して風邪に備えたけれど,風邪が復活してきそうな気配だ。かなり無理をして昨日・きょうと頑張ったからなあ。これ以上無理をすると,十年前のように取り返しのつかないことになるかもしれないから・・・・
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《18日:木》
 昨日の続きになる。
 「体調管理」とよく言う人がいる。私も十年ほど前までは盛んに言ってきたことだったし,学級通信にも多く登場した言葉だった。特に三年生の今の時期になってくると口を酸っぱくして言ったものだ。ところが,ある日,誰かに言われた。
「ヨネダはん,身体はなあ,神様からの借り物や。管理するなんておこがましいことは言ったらあかん。まずな,健康であることを感謝することを教えや。そしたらな,神様は,きちんと働いてくれはるはずや。」
 誰に言われたのかは覚えていない。でも,「そうだなあ!そうだよ!」と得心がいった記憶がある。ケガをしたって自分ですぐに治すことはできない。小さい頃から教えられていたことなのに気がつかなかったことは情けないことだったけれど,「目からうろこ」の体験だった。それからは必ず「感謝」という言葉を用いて,できる限りの努力はすること,と表現の仕方がかわっていった。
 人間ってのは不思議なものだ。何歳になっても,勉強をしよう,新しいことを身につけようと思っていれば吸収できるものなんだなあと思う。「知らないことが,また一つあった!」なんてことで喜べるような人間で居続けたいものだ。
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《17日:水》
 風邪をひいてしまった。年に何度かは風邪をひいているが,だいたいは「のど」からきた風邪が多かった。また病院に行くのは嫌いだから,ある程度ひどくなってから耳鼻科の医者に行くことが多かった。しかし今回は違った。昨日,何とか学校に行ったものの体調がたいへん悪く,「こりゃあダメだ!」と,すぐに早退届を出し,病院に行った。それも内科の病院に。幸いにも風邪のひきかけのうちに病院に行き,言われた通りに薬を飲んで暖かくして休んでいたら,きょうはずいぶん楽になっていた。何せ,昨日の午後一時半から今朝の七時まで,ほとんど寝ていたからなあ・・・きょうは大事な三年生の授業があるので「行かねばならない!」と無責任なヨネダには不似合いな気合いに,神様が驚かれたのかもしれない(笑い!)。
 大学時代,「音声学」という講座があり声楽科は必修だったので受講していた。耳鼻科のお医者さまが先生でいろいろなためになる話をして下さった。その中で「風邪の八割は耳鼻科に行った方が早く治る」と言われたことをよく覚えている。ご自分の商売繁盛を思って言ってるんでしょ,なんて女の子たちが突っ込みを入れていたが・・・・
 これまでの私の風邪は,まず喉が痛くなって腫れてきて,というケースがほとんどだった。しかし,今回は腹がおかしくなってきて(今年の風邪は胃腸にくるなんて聞いたけど本当?),むかつき,関節の痛み,悪寒,全身倦怠・・・・本当に昨日は最悪だった。風邪をひいても風呂だけは欠かさなかった私が,風呂にさえ入れないくらいにバテていたんだから状況は想像でき・・・ないかなあ。
 昨日よりは良くなったが,まだ身体が復活しきっていない。この日記をつけたばかりに,また最悪に向かうかもしれない・・・
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《15日:月》
 私は「ディズニー」の大ファンである。学校でも有名なこと・・・年甲斐もなく格好悪い・・・なんて言う人もいるけれど,恥ずかしさなんて微塵もない。東京ディズニーランドにはこの3〜4年こそ行ってないけれど,本当に大好きで用事で行ったついでに一人でブラブラしたことさえあるくらいだ。学校の修学旅行でも2回行ったんだけれど,「TDL」だけは生徒以上に私自身が楽しんだ。と言っても生徒を放っておいて遊んだわけではない。「ヨネダ流」の楽しみ方を事前にしっかりとレクチャーしておいて,生徒たちにももちろん満喫してもらった(はずだ・・・)。修学旅行で行った2回の「TDL」も相棒の先生がやはり「大ファン」だったので(当日だけは)生徒そっちのけで楽しませてもらった。特に二回目の時には,解散してすぐに縫いぐるみたちがたくさん出てきたので,二人でカメラを持ち,盛んにシャッターを切ったものだ。「プーさん」との2−ショットなんてなかなか撮れない逸品だ!
 来週には再び「TDL」に行くことができる! 前から楽しみにしているんだけれど,きょうの体調は最悪だった。身体はだるくて痛いし,何か気分が晴れない・・・・しっかりと心身の調子を整えて「その日」を迎えないとなあ!!
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《14日:日》
 弟が会長をさせて頂いている教会の「神殿落成奉告祭」が本日十時より行われた。我が家も家族で参拝させて頂き,喜びを共にさせて頂くことができた。ふだん「おぢば」で勤めさせて頂いているけれど,こういう大きな「節」に居合わせることができて,教えを伝えていく道場である教会の素晴らしさを感じさせて頂くことができた。気疲れはしたけれど,大いに充実した一日になった。
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《13日:土》
 久しぶりで合奏で指揮台に座った(ちょっと変な言い方だけど・・・)。これまで卒業生たちに頼んで「新曲」の練習をしてもらっていたんだけれど,きょうは本当に久しぶりで聞かせてもらった。まだまだ不揃いなところはあるけれど,ゆっくりでも何とか終わりまで通せるようになったことはスゴイことだと思う。たくさんの卒業生が関わってここまできたんだけれど,これからも頑張って力を貸して欲しい。休日の練習の日に,音楽準備室にたくさんの卒業生がいてくれると本当に活気づく。この世界は勢いが大切だから本当に助かっている。何せ同じ苦労や喜びを分かちあってきた仲間同志,現役たちが少しでも良い演奏ができるように,これからも頼りにしてる。よろしく!!
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《12日:金》
 きょうは「マラソン大会」が行われた。昨日の雨でグランドやコースの足元も悪く,また朝から少し雨が降ったりしていて懸念されたが,予定通りに行われた。先生が立つポイントがいくつかあり,私は運悪く?最終のポイントでの立ち番だった。
 私はクラスマッチには異常なくらいに盛り上がる人間だった。生徒よりも必死になって「勝てーー!!」と叫ぶ熱血教師?だった。ここ数年は担任を外れるようになって,少し熱は冷めた感じだが,心の奥底には煮えたぎるものを毎度感じている。
 このマラソン大会で,いつも思い出すことがある。前の校長先生,林先生はこう仰っていた。
 「頑張れ!と一声かけたら,かけられた者は50メートル走ることができる。どんなに疲れていて歩いていても,一声で50メートル。だから,できるだけ声をかけてやって欲しい。」
 私は「なるほどなあ!」と感心しながら聞いた記憶があり,今でもハッキリと覚えている。だから,できる限り声をかけていた。「頑張れ!」「あと少しでゴールだ!」「もうちょっとや,頑張れ!」。しんどそうに喘ぎながら走っている生徒たちの顔が一瞬輝き,走っていってくれる。おじさんのエネルギーだけど,それで走り出してくれる生徒を見ていると,こちらにも元気が湧いてくる。天中生は,そういう素直な子供たちがほとんどである。迷惑そうな顔をするのもいるし,聞いてない振りをして行くやつもいる。でも,その走っていく後ろ姿はたくましい。
 いま三年生たちは三者懇談の真っ最中である。進学先を決めていくという(現段階では)大きな壁に立ち向かっている。私はイヤミったらしく言うのが得意な人間で,私という人間を知らない人は戸惑うだろうが,心の中では「頑張れ!!」と叫んでいるつもりでいる。「頑張れ!」で50メートルでなく「50分間」勉強できれば良いのだけれど・・・・
 「頑張れ!」吹奏楽部の生徒に対しても同じだ。すぐに怒って怒鳴り散らすけれど,それが「ヨネダ語」の「頑張れ!」なのだ。卒業生には理解してもらえると思うんだけど,どうだろう!
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《11日:木》
 昼過ぎから「冷たい雨」が降り出した。夕方,帰るころにはかなりの降りになっていてビックリしたくらいだ。
 朝の車の掃除もボチボチ辛くなってきた。氷ったボディを拭くのは時間もかかるし,冷たい。これまでにも冷たいと感じたことはあったけれど,きょうが一番だった。午後からは雨が降り出すと予報で言っていたにもかかわらず,それを承知でやるんだから,ほとんど病気といってもいいくらいだ。このあたりが私の頑固なところの表れなのかもしれない。
 先月の23日の日記に書いてあるんだけれど,今月の24日,息子の全国大会出場の応援のために東京まで行くことになっている。せっかく行くんだから,とカミさんが言ってくれたおかげで,私の大好きな「東京ディズニーランド」に23日に行くことになっている。本当に久しぶりのことなので,今からワクワクしている。「20周年」と「クリスマス」が一緒になっていて・・・・想像しただけで幸せな気持ちになってしまう。「シー」ではなく「ランド」の予定である。あと十日余り・・・・嬉しい!
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《10日:水》
 いま三年生の授業で「実技テスト」を行っている。中学時代,最後となる「実技テスト」。課題は,[自由]である。
これまでの実技テストは,「この曲を歌いなさい」とか「この4曲の中から選んで笛を吹きなさい」とか具体的に課題を示していた。しかし中学校最後は・・・義務教育最後のテストでもあるので「自由」としているのである。音楽は「歌うこと」もあるし「楽器の演奏」もある。ピアノを小さな時からやっている者もいたりするし,音楽系のクラブで楽器を演奏できる者もいる。教科書にあるような曲は嫌いだけど,ポピュラーな曲なら好き,という者もいる。それこそ千差万別である。その中で最も得意なもの,自分を発揮できるものを考えて,みんなの前で発表するのである。クラスの音楽会とも言える。
 自分で課題を見つけて,それに向かって進んでいく・・・いつ頃だったか教育界で言われていたことだ。実は,このテスト,天理中学に赴任した時からやっている。これまでに多くの「名演奏」や「迷演奏」に接してきた。
 コイツが・・・すごい!  へーーー!こんなことができたんだ!  さすがーー!
 たくさんの記憶が残っている。今年の三年生たちも頑張って,真面目に取り組んでくれている者がほとんどだ。イキイキしている生徒たちの姿を見れるのは本当に嬉しい。でも・・・・実のところを言うと・・・・今は白状するのはやめておこう(笑い)。
 高校に入ると,数字の上では,音楽を選択するのは三分の一になってしまう。せめて最後はしっかりと輝いてもらいたい。また,その輝いた生徒たちの顔を見たい!
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《9日:火》
 昨日は夜が遅くなり,また急ぎの仕事があったため,日記を書くのを止めた。おかげで仕事の方は順調に進み,きょうの締め切りに間に合わせることができた。やらねば,と思えばすぐにできることをギリギリまでおいておくのが私の良くないところだ。以前に「しっかりしていると思われがちだが,実は・・・・」と白状したことがあったけれど・・・また,久しぶりで日記に「穴」が開いたことを話題にするのもいいかも,という思惑も働いている。「とてもズルイこと」を考えていたわけだ。
 きょうは生徒指導担当者の北部地区の中学校・高等学校の情報交換等が行われた。内容はいろいろと刺激があり,「そういうやり方もあるんだあ」とか「なるほど」と思われることもあって良かった。こういう「外の風」を受けるとすがすがしい気持ちになる。やはり内にこもってジッとしていたらダメなんだなあと痛感する。
 嬉しい再会もあった。新任で採用された県立高校でお世話になった先生との再会。今は「ある高校」の校長先生をしておられて,校長として出席しておられたのだが,休憩時間に「お久しぶりです!」と挨拶に行くと,覚えていて下さって嬉しかった。前任校では「教務部」で三年間仕事をしていたんだけれど,「教務の先輩」だったのでいろいろと教えて頂いた記憶が今でも残っているくらいだ。もう二十年以上も昔の話だ。なつかしい・・・・
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《7日:日》
 きょうもたくさんの卒業生が足を運んでくれた。私は用事があって,昼頃に学校を出た。その前に,来てくれた卒業生たちに頼んで「新曲」の譜読みの面倒をみてもらった。全体でやろうと思って始めたんだけれど,なかなか思うように進まないので,頼んだわけである。丁寧にやってくれるし,私のように怒りながらということもない。突然に言われた方は大変だったろうと思うけれど,とてもありがたかった。現役の部員たちも,この方が良かった・・・だろ?
 これを読んだ卒業生のみなさん,休日には,大勢で押し掛けてきて下さいね。よろしく頼みます。定期演奏会の写真も掲示してあるし,来るのには最適だと思いますよ(笑い)。冗談ではありませんので真剣に,お願いします。
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《6日:土》
 学校のある土曜日には「生徒朝礼」が行われる。生徒会の主導で行われ,生徒会からの報告や賞状などの伝達,校長先生からのお話があったりする。実は「ヨネダ先生からのお話」というコーナーもあることが多い。生活指導部長という「立場」での話をするのである。
 十年前に一度この立場になったことがあるが,その時には初めてだったので,ドキドキしながら壇上に上がったことを覚えている。当時の校長先生から「君は生徒に話をするのがうまいから」と言われたんだけれど,それまでの私には「生徒指導」という引き出しはなかった。ずっと教務畑でやってきたのに,まったく違う立場を与えられて大いに戸惑った。当時の教務主任の先生に相談したら,「先生はまだ若いから,勉強をしようという気持ちがあるのなら,されたらどうですか?」と言われて決断したのだった。(新しいことへの挑戦,この姿勢は今でも多少は続いているかな?)
 私の話は,長い。早く終わろうと思うんだけれど,あれもこれもとしゃべり出すと止まらない。できるだけ簡潔にと心がけてはいるけれど,難しい。また聞いて欲しい生徒の,耳には声は入るんだろうけれど,心まで声を届かせるのは至難の業である。99パーセントの生徒ができていればいいじゃあないか,と思う人もいるかもしれないが,私は残りの1パーセントを放っておくことができないタイプの人間である。いい加減さが売りのヨネダなんだけれど,ここは譲れない,という頑固さもまた,ヨネダなのかもしれない。
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《5日:金》
 きょうは天理教音楽研究会合唱団の定期演奏会。カミさんが団員として出るので,私も見に(聞きに,が正しい?)行ってきた。
プログラムの四曲目の作曲者の名前に見覚えがあり名簿で調べてみると,やはり,私の大学時代の先輩だった。四年生でオペラをした時に指揮をして下さった方で,今は兵庫教育大学で先生をしておられるはずだ。懐かしい名前を見て学生時代を思い出し,何の責任もなく遊びまわったり,音楽論を闘わせたり,自由に過ごしていた時期のことを思い出した。その方は作曲科で,我々声楽科とは違う理知的で知性的な方だったと記憶している。オペラの公演が終わってから何度か打ち上げが行われたが,その時には「普通のお兄さん」という感じだったので安心した記憶も残っている。
 気づいてみれば私も「48歳」。でも全く落ち着いたという感じはない。生徒のちょっとしたことにはムカツクし,腹が立ってどうしようもないこともしょっちゅうある。達観して落ち着く,という姿とは完全に逆で,「いい歳をして何をそんなに怒ってるんや」と言われそうな日常である。まだまだやりたいと思うことはあるし,このまま十年を無難に過ごそうなんて気もまったくなし!(あと十年で定年なのです,実は・・・)最後まで吠えて終わりそうな気配である。
 卒業生の結婚式が1月末にあるのだが,新郎新婦の先輩のラッパ吹きが「先生,ピアノ伴奏をして下さい」と楽譜を送ってきた。しかし,実は,今の私にはかなり,いや,大変難しい曲。でも,あきらめずに頑張ってみよう,と新しいことに挑戦しようとしている自分が,ちょっと嬉しい。できなかったら「笑い話」になってしまうんだけれど,何とか余裕で弾けることを夢見てやってみよう!でも,正直いって大変不安ではある。
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《4日:木》
 学校の暖房がきょう今年初めて入った。本校では「スチーム」が設備されており,以前のように灯油を入れて,マッチで火をつけるという作業がなくなった。今年初めて,というのは別にケチでそうしたわけではなく,暖かな日が続いたためである。例年ならば11月下旬ごろに冷え込む時期があり,その時期に始まる三年生の期末考査の日から暖房が入っていた。が,今年は不必要なくらい暖かだったのである。音楽室には吹き出し口が4カ所あるんだけれど,きょうは一つだけで十分に教室が暖まった。音楽の授業には生徒たちが音楽室まで足を運んでくれるので,暖房の管理も私自身ができる。だから暖め過ぎと感じたらスイッチを切ったり窓を開けたりして調節することができる。だから時々教室に行くと,暑すぎの場合には困ってしまう。また締めきっている場合が多いので空気も汚れた感じで,それに身体が反応してしまうのである。慣れというのはこわい,と言うけれど,良い環境に慣れてしまうと,別の意味で大変だ(笑い)。生徒たちには「先生,それは歳のせいですよ!」なんて言われることもあるけれど,決してそうではない(と思ってるんだけど・・・)。
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《3日:水》
 明日で1〜2年生の期末考査が終わる。私が採点しなければならない物はすべて完了。あとは返却して間違いがないかを確かめるだけである。そこからはコンピュータが大きな威力を発揮してくれるので助かる。学校で利用している「表」に誤りがあったらしく,そのままではソートができない,というトラブルがあったようだ。私もその壁にぶつかったんだけれど,自分で解決して仕事を完了させていた。ひょっとして「すごいこと?」。
 「Mac使い」が「Win」マシンをいじっているんだけれど必要なことは何とかできるようになってきたかな? 学校では「Exelって賢いなあ」とか言ってる人もいるけれど,私は「Exel」を始めから使っているので「当たり前」のこと。そういうことを楽しむというか,面白く感じることができるようになったようだ。
 きょうは久しぶりで冷え込んできた感じだ。朝の「車掃除」もまだ続いている。今朝は起きてすぐに始めたので,まだ薄暗い中で車を拭いているというアヤシイ感じだった。これから霜が凍るような朝はどうしようかなあ??と今から心配している。でもきれいな車に乗るって気持ちがいいもんだ。車に乗り始めて25年くらいになるが,こんなことは初めてだと思う。
 明日から部活動再開である。まだ成績処理があってのめり込むことはできないが,音の中での活動が再開される。
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《2日:火》
 あと二ヶ月ほどすると,奈良県内の私立高校の入学試験が始まる。もちろん天理高校も同様である。天理高校の入試には面接試問がある。「面接」と聞くと思い出されることがある。大学四年生の時に受けた,愛知県の教員採用試験でのことだ。
 何人かの同級生たちと共に受験した私は,「面接ってどんなことを尋ねられるんだろう??」と言いながら待っていた。いよいよ私の番がまわってきた。
 まず始めは型どおりの「受験番号と名前」を答え,面接官(管理職?の方が二人いた)に促されて腰をかけた。すると願書を見ながら,「ほほーー,天理高校のご出身ですか?」「はい!」「今年の調子はいかがですか?」「はあ?」「野球部のことですよ。天理高校の野球部っていったら甲子園の常連じゃないですか」  テストはちょうど七月の下旬だった。野球部の話題から始まって,天理のスポーツ,そして吹奏楽部も全国的に大変有名な学校なんですよ,なんて話を15〜20分くらいしただろうか。ふと試験官の先生が時計を見て,「あっという間に時間が過ぎてしまいましたねえ。ご苦労さまでした。これで終わりましょう」と言って終わってしまったのである。
 面接の定番質問である「志望動機」さえ尋ねられずに終わった面接。友だちの出てくるのを待って,その話題で盛り上がったんだけど,そんな面接は私だけだったようだ。つまり,世間話を時間いっぱいして「面接」が終わってしまったのである。そして,「合格」。学校で先生に報告したけれど,狐につままれたような感じがしたものだ。でも,何をもって「合格」だったのだろうか。勝手に想像することはいくらでも可能だけれど・・・・・こういう経験をした人って,ザラにはいないだろうなと確信している。
 これまでの私の人生の中でも,とびっきりの「ミステリー」である。
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《1日:月》
 きょうから師走。少し前から私は走りだしているけれど,一年でも最も忙しい時期に突入している。事務的な処理は速いと自分では思っているんだけれど,自分のペースだけでは動けないような歳になってきたために(用事が多くなってということ,歳とって動けなくなったわけではない),イライラしながら時間をやり過ごすこともある。でも,以前ほど焦ることはなくなってきた。歳をとって図々しくなってきたのだろうか?
 さっきメールチェックをすると卒業生からのメールが入っていた。2〜3年生の時に担任をし,大学4年生になった今でも時々メールをくれる,おせっかいな(いやいや優しい!)私と波長の合う気の毒(素晴らしい!)な卒業生の一人である。
 メールの中に「真面目に,不真面目を貫いています」とあったんだけど,「かわいそうになあ,おれと出会わなければもっとマシになっていたかも知れないのになあ」と実際には喜んでいるのがヨネダなのである。吹奏楽部の卒業生の中には,私の心の中まで見透かして色々とやってくれるのは大勢いるが,吹奏楽部の卒業生ではない,彼女のような人はたいへん珍しい。
 生徒の嫌がることをやって,その困る姿を見て楽しんでいた,ギラギラした私の若い時の生徒の一人だ。こんなことを書くと,「ヨネダってそんなにヒドイ教師だったのか!」と思われるかもしれないが・・・・・私のことを知ってる人なら理解してもらえるのだが・・・・真面目に自分を語るなんてことは,どんなことがあったってできないし,ヤラナイ!
 そんな程度のことなら書かない方がまし,と思われる日記もあったと思うけれど,三ヶ月が過ぎ去り,四ヶ月目に入った。これからまだまだ走り続けねばならないから,穴があく日もあるだろうが,駄文でも,一行でも続けていこう!!と思ってはいる。
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