2003年11月

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[30日・日曜日]
 久しぶりで朝遅くまで寝た。驚くだろうと思うので何時に起きたかは書かない。いろいろと家の中のことをやって,昼からはコンピュータ関連のことを夕方までかかってやった。実は,かなり以前に「ルータ」を買っていたのだが,なかなか作業をしなかったのだが,思い切って始めてみた。案の定,時間がかかってしまい,できるのかな?と不安になったが,いつのまにかインターネットに接続できるようになっていた。何でできたのかはわからないけれど,まあできるようになったから良しとしておこう。
 思い出してみるとインターネットの世界って難しい,ようで簡単,なようで・・・・と今になっても訳がわからない場合が多い。我流で知ったかぶりをしてなかなかできず,説明書の通りにやったら簡単にできた,なんてこともたくさんあった。今回は,そのどれにも当たらなかった。まあ結果オーライだ!
 必要に迫られて,学校の「Windows」にもさわらねばならない状況になってきている。「Mac」と勝手が違うところが多いので(少なくとも私はそう感じている),どうしても知ってる人の手を煩わしてしまうことになる。小心者?の私には心苦しいことなんだけれど,それこそ,コンセントを抜いたりしたら大変なので必要最低限のことだけをやるのに,力を借りている。私自身はとっても面倒くさがり屋で,人から頼まれてもすぐに応じられない時もある。私も気をつけないといけないなあと切に思う。快く使ってもらえるようになることが,教師として,信仰者として,人間として大切なんだろうな。残念ながら,私はまだそこには至っていない。
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[29日・土曜日]
 私は自分が高校生だった頃,車の運転はしない,と決めていた。事故がこわいし,贅沢なものと思っていたからだ。ところが愛知県の大学に通うようになって一変した。何といっても名古屋はトヨタの町。町もとてつもなく広い。奈良にいた時には自転車で奈良や飛鳥にも行ったことがあったけれど,名古屋市はもっと広かった。また大学の友人も,愛知教区の学生会の友人も車を運転する者がだんだん多くなっていった。弟が自動車学校に行くというので,私も一緒に行くようになった。
 そして大学二年になってすぐだったと記憶しているが,運転免許をとった。そして夏休みが終わってから車に乗るようになった。その二年後,弟が大型免許を取りに行くというので,私も一緒にいった。これはいわゆる「飛び込み」という形で免許試験場に行ってのぶっつけ本番テストである。弟は二回目で合格。私は四回目で合格。そしてまた二年後,弟が「大型第二種免許」を取りに行くというのを聞き,少し時期が遅れたけれど,私も取りに行った。二回目で合格した。私の運転免許試験にはすべてに弟が関係している。同志がいたことは心強かったが,兄である私の方が少し「どんくさい」ようだなあ・・・・でも「二種」が二回目で合格できたのは快挙だと思うんだけどなあ。免許を持っている人なら理解してもらえると思うんだけど。
 「絶対に免許は取らない,運転しない」と決めていた私だったが,そんな意地を張らなくて良かったと思う。考え方はその時の状況によって変わっていく。変えていくべき「意地」のようなものが,まだまだ沢山あるんだろうなあと思うと,何だか楽しくなってきてしまう。
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[28日・金曜日]
 例年なら,11月の最後の週は大いに冷え込む時期である。だいたい三年生の期末考査が始まる頃から学校の暖房が入っていた。ところが今年は違う。今朝なんかは参拝からの帰りに少し早足で歩いていると汗ばんでくるくらいの暖かな朝だった。季節はずれの台風も南の海上にいるとのこと・・・・やはりおかしい。この冬は暖冬だと長期予報では言っていたが,ずーーっと暖かいわけではない。いずれはこの反動がやってきて寒さに震え上がる時がやってくるはずである。その時がくるまで気楽に「小春日和」を楽しんでおくとしようか。
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[27日・木曜日]
 昔から視力には自信があった。小学校・中学校の頃に勉強もせずに遊び回っていたおかげだろうと思う。ところが・・・・コンピュータと付き合うようになった6年ほど前から急激に低下してきた。昨年の健康診断で測定すると左右とも「0.4〜0.5」程度。これには自分自身が驚いてしまった。「1.5」見えるのが当たり前だったのに・・・・歳のわりにはメガネの世話にもならず快調だったんだけれど,先に述べたようにコンピュータを始めてからは・・・・・・
 三年前の運転免許更新の時には「勘」が冴えていたおかげか何とか「0.8」でパス(ずいぶん恐いもんだ)。深視力検査も何とかパスできた。(ちなみに私は「第二種大型自動車免許」を持っている!!だから0.8と深視力検査が必要なのです)ところが,どんどん視力が落ちる感じがしていたんだけど,昨年の夏,奈良県コンクールが終わった翌日,カミさんに連れられていったメガネ屋さんでメガネを作ってしまった。心の準備をする間もなく,トントンと進んで気がついたらメガネをしていた。すると・・・実によーく見える。そのハッキリした景色に感動してしまった。こんなだったら,もっと早くに作れば良かったと後悔した。現在も四六時中かけているわけではない。車の運転をする時には極力かけるようにしている。特に暗くなってからは絶対に必要である。学校ではほとんど使わない。だから実は,見えているように見えるかもしれないが,生徒の顔はハッキリとは見えていない。およその輪郭で識別している程度なのである。帰り道にいく参拝の時は,相手の方に失礼があってはいけないと思って,メガネを使っている場合が多い。でも使っていない時の方が,知っている人に出会う場合が多い。
 でも・・・この頃,そのメガネも甘くなってきた感じがしている。あーー,更に悪くなっているのかーーと思うと何だかさびしい。
 ちなみに,今使っているメガネは「近眼鏡」なのですが・・・・・(無駄な抵抗かな?)
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[26日・水曜日]
 昼から,天理市教育委員会・生徒指導部会が主催しての講演会が行われた。
 講演の中身もさることながら,その講師の先生と少しだけれど話ができたのが嬉しかった。昔の話だけれど,中音研(奈良県中学校音楽教育研究会,つまり奈良県の中学校の音楽の先生の集まり)で研究授業をしたりして活躍?していた時期に,奈良県教育委員会の学校教育課で指導主事をしておられて,いろいろお世話になったことがあったからだ。
 あの頃はいろんな意味でギラギラしていて,自分のペースで多くのことに首を突っ込んでいた時期だった・・・と回想するには若いけどなあ。この頃,忙しくなったり,出るのがおっくうになったりして,学校に籠もったままでいるのだが,何か寂しい。こうして愚痴をこぼしていても何もならないのはよくわかっているけれど,一歩を踏み出すことができないのが現在のヨネダミチハルである。期末考査が始まり採点に追われる時期,成績処理の時期・・・と期末業務に追い回されて時間だけが・・・いけない!イケナイ! もう落ち込むのは辞めよう。何とかなるさーー
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[25日・火曜日]
 掲示板を新たにして一日が過ぎた。常連さんによる書き込みがなされていて嬉しい。インターネットの世界というのは,隣に住んでいても,はるか彼方の外国に住んでいようと関係なしだ。考えてみればスゴイことだと思う。何故そんなことができるのか,理屈では理解できないけれど,現実にそうしたことが可能だから深く追求しなくてもいいのかもしれない。たまーに携帯電話を音楽室に置き忘れたままで職員室に戻ったり,外出したりでもすると,本当に落ち着きがなくなってしまう。これって依存症になってる証拠なんだろうか。便利なのはいいけれど,何かを犠牲にして「便利」が成り立っているように感じることもある。もっとのんびりしててもいいんとちゃう,なんて時もあるなあ。
 きょうの夕方,カミさんが私の携帯にメールを送ったらしい。八時半頃にカミさんが帰ってきて「送ったやろ!」というけれど,私の携帯にはまだ届いていなかった。「センター問い合わせ」をしたら入ってきてカミさんと苦笑い。たまにこうしたことがあると,「携帯もなかなかやるなあ!!」と思わず楽しくなってしまう。急ぎの用だと困るけれど,携帯を持ってなかったと思えば済みそう・・かな? ちょっとした場所の違いやタイミングでこうなるんだろうけれど,機械が万能でないことは,ちょっと嬉しい。
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[24日・月曜日]
 ようやく「新しい掲示板」を立ち上げた。たった今,卒業生たちへの連絡メールを送り終えたところである。これで交流の輪がこれまでよりは増えることになるだろう。楽しみにしていよう。
 きょうは一日中,家にいて,家のことをいろいろやった。年末の大掃除の時以外でこれだけ家のことをやったことって初めてかもしれない。そのためか,昼から雨が降り始めた(笑い)。前からの宿題だった「掲示板」も一段落してホッとしている。
 村井くん,本当にありがとう! またこれからもオジサンの相手をよろしく頼みます。
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[23日・日曜日]
 長野県の塩尻市まで出かけてきた。大学に通っている息子が「第13回日本クラシック音楽コンクール」の本選に出場することになっていたからだ。出番がお昼過ぎの(天理からわざわざ出て行くには)大変都合のよい時間だったので助かった。この会場で,大学生の部で出場したのは一人だけ。だから比べる人がない中での「全国大会」に向けての本選会(実際には全国の予選)だった。
 結果は全国大会への出場が決まった。遠くから出かけた甲斐があったというものだ。伴奏をしてくれたのは作曲科の三年生の方で,とっても良い人だった。ピアノも大変上手で息子も弾きやすかったことだろう。忙しい人と聞いていたので本当にありがたかった。次もまた,お付き合いをしてもらわねばならないんだけれど,とても快く応じて下さっている。これも有り難い。
 息子自身も一生懸命にこの日に向けて練習をしてきたと思う。また,同級生や多くの上級生の方々ともうまくコミュニケーションをとりながら過ごしてくれているようで,そのことも嬉しい。24日が「大会」当日なので,それが終わるまでは天理に帰ってこれないだろうが,しっかりとまた頑張って練習してくれることだろう。きょうは一日で700キロ以上を車で走ってきた。疲れたけれど,まあいいだろう! 明日は目が覚めるまで寝るつもりでいる。でも・・・・たぶん遅くまでは寝てないだろうなあ・・・・
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[22日・土曜日]
 朝,学校に行く前に参拝に行った。ちょうど学校参拝の直前。北礼拝場で参拝して教祖殿に行くと高校生(親里高校,教校付属高校)たちが大勢参拝していた。以前,運動会の翌日だったか参拝に行った時には天理高校生も多く混じっていた。学校参拝の前に三殿をまわる子たちである。
 ずーーっと天理に住んでいると,神殿に毎日行って参拝することが当たり前のことになってしまう。私は学生時代に天理を離れていたから,名古屋の教会で「天理に住んでる」と申し上げたら,「それは徳があってよろしいですね」と何度か言われたことがある。天理(おぢば)は遠くに住んでる方たちにとっては「尊い場所」「あこがれの場所」なんだ!と感じたことをハッキリと覚えている。今の天中生も何年かたてば理解できることだろうと思う。でも,あこがれの場所に毎日行けることを誇りに思ってもらいたい。また,「おぢばってそういうところなんだぞ!」と語り続けねばならない。そうでないと申し訳ない気がする。学校参拝の前に教祖殿に運んでる子たちは,そういう親の思いを受けて,あるいは友だちの影響を受けて,「喜び」や「感謝」から一日を始めている。素晴らしいことだ!
 天中生諸君にも「喜び」や「感謝」で始まって欲しい。「しっかり参拝せんかーー!」で始まるのは・・・情けない気がする。恵まれていることに「慣れてしまうこと」・・・これが一番こわい。私自身も気をつけよう!
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[21日・金曜日]
 暖かな一日だった。ところが今,ヤフーの天気予報で天理市のところを見たら,あす朝の最低気温予想が「10度」,昼間の最高気温の予想が「10度」だった・・・・何これ??っていう感じだ。明後日は,用があって長野県の塩尻市までドライブ(なんて気楽な用ではないんだけど)することになっているんだけど,大丈夫かなあ・・・なんて心配してしまうよなあ。
 「雨降るも神,雨降らぬのも神」と言うけれどまったくその通りだ。だから心配するなんて無用で,備えだけしていれば良いわけである。と,言うのは簡単だけど・・・・
 だいぶん前に,私の時間割は月曜日と火曜日は大変きつい,と書いたことがある。しかし,きょうの金曜日は授業のないコマが比較的多い。だから教師はヒマで遊んでると思われるんだろうけど,実はやることはいくらでもある。きょうは期末の成績処理の下準備を一生懸命にやって,それこそ休む間もない忙しさだった。何かこの頃,昔よりも忙しくなってきたように感じるのは私だけなんだろうか。コンピュータが普及してきて,ずいぶん作業は楽になってるはずなんだけれど,現実は超・忙しい! 歳をとってきて作業が遅くなってしまった・・・とは思わないんだけどなあ。不思議な実感である。まあ「忙しい!いそがしい!」と言いながら,いろんなことに手を出して自分の首をしめるのが得意だから・・・・それが原因なのかな?
 明日の練習が終わると,期末考査前の部活動休止期間に突入だ!
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[20日・木曜日]
 カミさんの誕生日。珍しく二人で夜,参拝に行ってきた。およそ毎日の私の動きは決まっていて,学校の帰りに参拝に行ってから帰宅している。昔はその動きにずいぶんこだわっていて,一つ違ってしまうと何かしら不安になっていた。この頃では歳のせいなのか,ずいぶんと余裕を持てるようになったというか,普通になったと言うべきなのかな・・・・今晩は「鍋だから参拝はあとにして,先に帰っておいで」と連絡が入ったので,そそくさと帰路についていた。
 すでに天中を退職された先生(この方も在職中から毎日参拝に行っておられて今でも時々出会うのだが)に言われたことがある。
「ヨネダはん,あんたはなあ,真面目で良いけれど,カチカチではあかんでえ。一日一回,いつでもいいから神殿に運ばせてもらったらええねんで。もっと柔らかくなりーー」と。そう言われてみると,別にガチガチになって自分を縛り付けることはないなあ,と気持ちが楽になった記憶が鮮明に残っている。在職中に比べるとずいぶん小さくなられたけれど,あの頃にはなかった柔和で穏やかな表情が,私を癒してくれる。参拝の時間帯がまるで違うので,休日に時々出会うだけだが,楽しみの一つである。
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[19日・水曜日]
 新しい車に乗り始めて二十日間が過ぎた。一週間ほど前から,朝,出かける前に車の掃除をしている。これまでに何台か車をかえてきたが,こんなことは初めてなので自分でも驚いている。何故かはわからない。「三日坊主」の期間も過ぎてしまった。明日の朝,雨が降っていたらしなくて済むんだけれど・・・・それを期待している私はやっぱり不精者?
 自分には不似合いな車に乗せてもらっているという気持ちなのかもしれない。何とかして「徳」を落とさないように,という気持ちの表れなのかなあ。ただし,いつまで続くかは疑問である。何せ冬に向かっている真っ最中。そのうちできなくなるはずだ。
 ありがたいことや嬉しいこと,恵まれて良かった・・・という気持ちは,何日かたてばそれが当たり前のことになってしまって,「感謝の心」を忘れてしまいがちである。「慣れる」ということはこわい。
 天理教の言葉に「一日生涯」というのがある。教祖に助けて(導いて)頂いた,その「元一日」の心を一生涯持ち続けて過ごすように,という内容のお言葉である。(一日が一生だと思って悔いのないように生きること,という解釈もあるが,お道での本来の意味は,先に述べた内容だと聞いたことがある)。車程度のことで大げさかも知れないが,もっと色々な「元一日」が,私にもある。慣れてしまって惰性で過ぎていくような状況は・・・・難しいなあ。あまり深刻に考えるとしんどくなるので・・・・
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[18日・火曜日]
 卒業生のKくんからの手紙と品物が届いた。天高で吹奏楽部に入っており,夏休みの終わりに「東京ディズニーランド」に行った時のおみやげ。賞味期限は11月23日だから大丈夫・・・ということで。明日には食べきってしまうだろうから,まあ問題はないんだけれど・・・その手紙には,「毎日,日記を読んでますよ」とあったので・・・読んでるかな?
 前にも書いたけれど,卒業生のコンピュータ専門家Mくんが「掲示板」を作ってくれている。テスト中だというのに,訳のわからないことを言う「ヨネダおじさん」の注文にこたえようと一生懸命になってくれている。現在の「この掲示板」はコンピュータからしかアクセスできないんだけれど,今度のは携帯からも閲覧や書き込みができるはず。少し前に作ってくれたものは閲覧はできた。しかし「jp-k」からの書き込みはできたのだが,「ezweb」からの書き込みができなかった。さて,今回のものは・・・いま,何人かの卒業生に頼んでテスト中なのだ。
 これまでとは大きくかわる「掲示板」ができるはずだ。先に紹介したKくんも掲示板は見てくれているんだけど,書き込みは・・・・きょうは書き込んでくれよーー。
 今朝は寒かった。車の屋根に霜がおりていて驚いた! 明日は少し寒さも弛むと言ってたけれど,さて??
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[17日・月曜日]
 忙しい一日だった。「職員月次祭のまなび」の係に当たっていたため,授業が4コマ,会議が1コマ,そして礼拝場の清掃と準備や鳴り物の調弦などで,本当に息つく間もなく時間が進んでいった。拘束を解除されたのは午後六時過ぎになった。でも,身体がよく動くものだ。
 終わりの学活で生徒たちに話をした。
 いくら勉強をしてもテストの当日に発熱したり体調を大きく崩したりしたら大変なことになる。昨日の東京国際マラソンの高橋尚子さんですら,体調は万全と言われていたのに35キロ過ぎで失速してしまった。「マラソンは何が起こるかわからない」とコーチの小出さんの話が新聞に載っていたけれど,マラソンだけの話ではない。体調管理とよく言われるけれど,神様から借りている身体を管理するのは当然だけど,自分の思うとおりになるわけではない。まず,元気で活動できることを《感謝》すること。それを喜び,お礼を申し上げることが大切だ。自分のことだけでなく,隣に座ってるヤツのこと,三年一組の連中のこと,天中の三年生みんなのことを祈れるようになったら,すごいんだけどなあ。
 私は時々終わりの学活で演説をぶつ。思いつきで話すんだけれど,これまでのいろいろな場面が浮かんできて話はいくらでも続けられる。長くなるといけないと思って,できるだけ短く話そうと思うんだけれど,まだそこまでヨネダは熟してはいない。
 体調に気をつけよと言ったが,私が大学に合格した時は・・・・38度を越える高熱が続き,喉も腫れて声が出ない,鼻水がズルズル音をたてる・・・そんな最悪の状態で入学試験に臨んだ。声楽が専門だから当然,歌った。でも神様のご守護があったおかげで,無事に合格。私の場合は体調が最悪でも何とかなったけれど,誰もがこんなに調子よくいくわけがない。結局は神様の思惑通りに時間は進んでいくのである。自分が分岐点に立った時,「今度,神様はどっちに私を引っ張って下さるんだろうか」とこの頃ではワクワクできるようになってきている。
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[16日・日曜日]
 きょうも多くの卒業生が訪ねてきてくれた。合奏の時にも音楽室にやってきて,後輩たちの練習する姿を見てくれていた。現役の連中は緊張するだろうけれど,その「緊張」が大事なことなんだなあ。緊張でカチカチになるのでなく,「いい格好をしよう!」という積極的な気持ちになれるとなお良い。卒業生たちも自分が中学生だった時には見えなかったことが,たくさん見えているはずだ。遠慮なく感じたことを伝えてやってくれるようになると楽しいだろうなあ。余計に緊張してしまうかな?
 現役の連中の活動はどうしても視野が狭くなってしまう。一度悩み始めるとどんどん深みにはまっていってしまう。そんな時に卒業生が語ってくれるとずいぶん癒されるのではないかなあと思う。
 私の教師生活の始め三年間は,奈良県の公立高校での勤務だった。採用試験に合格し,意気揚々と始まるはずが,とんでもない現実にさらされて・・・・その三年間が今のヨネダの基本を作ったといっても過言ではない。吹奏楽部の指導も楽しかった(と思っているのは私だけかも)。合同演奏会を企画して成功した時の達成感は今でも明確に記憶に残っている。これから,という時に天理学園の採用試験の話があり,受験し合格して今に至っている。
 当初は「天理中学校の生徒たちなら何でも自主的にやれるんだろうなあ」と楽しみにしていた。ところが,現実は違った。中学生は,想像していた以上に幼かった。高校生相手の感覚ではどうにもならない,そんな戸惑いを感じたことが忘れられない。卒業生諸君,中学生にはいろいろなことを教えてやって欲しい。言われたことを頑張ろう!という気持ちはたくさん持っているのが天中生。私も「変身」しようと秘かに思ってはいる。応援をよろしく頼む!
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[15日・土曜日]
 私は「Macintosh」を使っている。いわゆる「Mac-User」である。学校でおおっぴらに「Mac」を使っているのは私だけである。二年前までは三人いたんだけれど,一人ずつ減ってしまって現在は私だけ。本当は「Mac」を持っている先生はいるんだけれど使っていない。職員室はLANで接続されているけれど,サーバに入れない。「OS-X」を使えば入れるようなんだけれど,私は「9.2」を使っている。使い慣れたOSからの脱皮というか飛躍を怖がっているのである。
 「X」にするか,サーバに入るために「Windows」を使うようにならねばならないのか・・・私にとっては重大なことで最近悩んでいる。「Win」を使うことが「Mac」への裏切りのように思ってしまっているのだ。何だかおかしい話だけれど・・・・サーバのことを考えて,「Word」も使うようになってきた。「Exel」は始めから使っていたけれど,成績処理などに使っていただけだったのに,表を作ったり,それで「文書」を作成するようにもなった。この半年ほどでかなり使えるようにはなったと自分では思っている。しかし,コンピュータを使い始めた時から使っている「Pagemaker」が一番使いやすい。「P」だったら簡単にできるのに「W」はどうしたらいいんだ?? なんてことはザラ。なかなか難しい世界である。
 実は,吹奏楽部の練習予定を卒業生に対しては,私のもっているホームページ内で公開している。それも携帯電話で閲覧できるように。このHPからのリンクは張っていないので「知ってる人しか知らない」ことになっている。いずれは「このHP上」での公開もするようになるだろうが・・・・いろいろなことに手を出すと自分自身の首を締めることになってしまうから・・・難しい。
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[14日・金曜日]
 私は基本的には毎日参拝に行っている。「基本的に」というところがファジーというか,いい加減なヨネダらしいところだ。
 夜の参拝。回廊をまわっていると「回廊拭き」をしておられる方がたくさんいる。少し前までは,心の中で「ご苦労さまです」と言っていたが,この頃では声に出して「ご苦労さまです!」と言えるようになってきた。私も高校生のころ,3〜4年(基本的に)毎日続けて「回廊拭き」に行かせてもらっていた。始めの頃はまわりの目を意識している自分がいたが,いつのまにか気にならなくなっていた。気になっている頃は「ご苦労さま」と声をかけられても言葉を返すことができなかった。しかし,気にならなくなってくると,自然に「こんばんは!ありがとうございます!」と応えられるようになっていた。本当に不思議な経験だ。「回廊拭き」をしていて一番嬉しかったことは,「ご苦労さま!」と声をかけられた時だった。まるで神様から声をかけてもらっているように感じたからだ。そしてそれに「ありがとうございます」と応えられる自分自身がとても好きだった。
 人に「ご苦労さまです!」と言えるほど私はよい人間ではない。しかし,心が勇んでいると,「どんな自分でもいいから,声をかけさせてもらうことが大事なんだ」と思うことができる。何があっても喜ぶことができるように心がけていきたい。と言いつつ,授業や部活動ではすぐにムカツキ,生徒に八つ当たりしているのが常なんだけど・・・・そういう「ヨネダミチハル」を,毎日回廊を歩きながら見つめ直しているのかな? だから,参拝は私にとって,とても貴重な時間なのである。おかげで家に「ムカツキ」を持ち帰ることは多くない。ありがたいことだ。
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[13日・木曜日]
 何やかやとあって,もうすぐ11時になってしまう。私は遅くまで起きていることができない。いつもならば十時過ぎにはやるべきことをやってしまって,ボケーーッとしているのがほとんどだ。習慣というものはこわいもので一般的には早い時間での就寝だと思う。朝は六時過ぎには目が覚める。だから七時間少し寝るのが普通かなあ。身体は神様から借りているものだから大事に使って悪いことはないだろう。今は体調が悪いから特に早寝を心がけてはいる。
 だめだ! いつもはもう少し早い時間に日記に取り組んでいるんだが,いつもよりも遅いからか言葉が出てこない。寝よう!
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[12日・水曜日]
 今週は放課後が忙しくて,まともに部活動に顔を出すことができないままである。明日も実は夕方から学校の用事があるので部活動に行くことができない。今が一年でもっとも大事な時なんだけれど,動けないから余計に気になって仕方がない。でも教員だし,「立場」もあるし,ままならない・・・・何だかもどかしい。「MBS」への参加は諸々の事情で取り止めにしたけれど,もしも可能性があって取り組もうとしていたら大変なことになっていたことになる。私が仕上げる人間だからである。代わりを任せることはできない。ただでさえ放課後の時間が短くなる「冬校時」なのになあ・・・・生徒たちがかわいそうだ・・・いや生徒は平和かもしれない。
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[11日・火曜日]
 実は今,卒業生のコンピュータの専門家(の卵?)に「新しい掲示板」の作成を頼んでいるところだ。今,設置されている「掲示板」は二つ目の物なんだけれど,最初の「掲示板」がとても良かった。携帯電話からの投稿が可能で,あっという間にアクセス数が,そのサイトのトップに躍り出てしまった。ところが,そのサイトが閉鎖されてしまい,現行のものになったんだけれど,携帯からのアクセスができないのである。だから,何とかして携帯からもアクセスできて書き込みができる物を,と思っていたんだけど,まだ「初心者」の私には力が及ばず,その卒業生が来た時に愚痴をこぼしていたのである。それを聞いて奮闘してくれたのである。本当にありがたいことだ。
 ただ,いまは関係者だけによるテスト運用をしているだけで,まだ公開はしていない。いずれ公開の時がくるので,もうしばらく待ってもらいたい。教師は銭儲けはできないけれど「人」との出会いが大変多い仕事である。いつも訳のわからないことを問いかけて困らせてばかりなんだけど・・・・・ありがとう!

 きょうは私の大学時代の声楽の恩師の誕生日である。昭和11年11月11日という,一度聞いたら決して忘れることのない日である。卒業以来「早く忘れたい!!」と思えば思うほど頭を離れない「日」である。(先生,忘れたい,というのはジョークですから怒らないで下さいね)。私と同期生の女の子が毎年ケーキを焼いて持っていってたなあ,なんてことを覚えている。懐かしい思い出だ。

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[10日・月曜日]
 きょうから学校の登下校指導が始まった。文字通り「登下校」の様子を見て必要であれば「指導」をするのである。私は「叱りつける」立場にある人間だけど,生徒と接することが大好きだ。生徒にとってはありがた迷惑だと思うけれど,戸惑う様子を楽しんだりするのも楽しい。きょうは私の当番ではなかったんだけど,清掃終了後に天理高校の前に立って様子を見ていた。小雨が降る中だったからか,傘をさして片手運転で行く連中がかなりいた。でも多くの生徒たちが「気をつけて帰りや」と声をかけると「失礼します」と返事をして帰っていった。当番で出かけた夜の天理駅でも何人かの生徒と話をしたけれど,本当に穏やかないい連中が多い。
 生徒に対していろいろなことで怒鳴りつけるけれど,その多くは少し時間がたてば理解できることばかりである。がんばってもっといい学校にしてくれよな。
 寒い一日になった。一昨日は「暑かった」のに,きょうは「寒かった」。やはり冬に向かって進んでいるんだということを痛感させられる。12月になれば学校にも暖房が入るんだけど,例年,その一週間くらい前の冷え込みがきつい!今年もそうなるのかなあ・・・・明日もぐずつくお天気らしい。風邪をひかぬように気をつけなければ!
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[9日・日曜日]
 1〜2年生による初舞台の日だった。今年の奈良県コンクールが行われた会場で吹くからか,一年生の多くは初めての橿原の舞台。何というのかなあ,緊張して音を十分に出し切れない人もいたみたいである。情けない・・・また,三年生がいなくなって,例えば,三階から楽器を運び出したり,トラックへの積み込みの要領がわからずに棒立ちになっている者,何をしてよいのかわからないから誰かと同じことをとりあえずやってる者,・・・・端から見ていると面白い情景だった。これまでなら誰かが大きな声を出して仕切っていくヤツが出てくるんだけれど,今年はそういう積極的なヤツがいない。先生と卒業生が一生懸命になっていた。演奏も情けないけれど,これもまた情けない・・・・
 「お前らがやらずに誰がやるんや?」と思わず切れかかった私・・・こんなことまで我々が仕込まねばならないような時代になってきたのかと思うと,先が思い遣られる・・・・
 こんな中だったけれど,三年生が二人,手伝いにきてくれた。「積み込みのことが気になったので来ました」と言ってくれたのは嬉しかったなあ。今年の三月に卒業した息子も言っていた。「僕らが一年の時の三年生の先輩,芸術祭の時には引退してたけど,学校まで来てくれていて,こっぴどく怒られたことをよく覚えている!」・・・こうやって成長していくのである。
 なのにこの頃は積み込みなどで真剣に怒鳴り散らすヤツがいない。人の成長というのは,甘やかしている中では望めない。真剣に怒られることがない・・・それは,今は平和かもしれないが,先が続いていかないということにも通じていると私は思う。
 もっと怒られろ! そしてもっと怒れ! 甘えてるから,楽器を吹かねばならない,太鼓を叩かねばならないという肝心な時に思い切ってできないんだ! 誤解しないで欲しい。上の「恐い」というのは「厳しい」が適切な言葉だ! 甘えるな! 本当の厳しさはこれからだ!
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[8日・土曜日]
 きょうは「立冬」・・・だというのに,昼間は夏を思わせるような暑い一日になった。東京では25度と聞いたから,冬の最初の日が「夏日」だったということになる。そういえば,夏のおぢばがえりの時に「ちょっと涼しすぎるぞーー!」と感じる日があったなあ。やはり何かがおかしい。でも,一時的なことであって,きちんと夏の暑さは戻ってきたし(季節はずれだったけど),冬の寒さもきちんとやってくることだろう。
 明日は,1〜2年生で立つ最初の舞台の日だ。どうなるか???思い切って堂々と吹いて欲しいと私は思っている。今は「音が出てなんぼ」の時期だ。肩ひじを張って硬い演奏をする必要はない。思い切って勢いのある音楽を期待したい。明日も早くからの活動になる。昼過ぎで解散の予定だが,朝が早いのが・・・おまけに音楽室のカギを持ち帰ってきてしまっている。早く行かないと活動自体が始まらない。
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[7日・金曜日]
 一日中,かなりハードだったので疲れ切ってしまっている感じがする。ちょっと情けない気もするけれど,きょうはこれだけで終わりにしよう・・・・こんな日があってもいいや・・・
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[6日・木曜日]
 新しい車に乗り始めて一週間がたった。この前の日曜日に息子の「芸祭」に名古屋まで出かけてきたけれど,すこぶる快調で,気がついたら「120キロも出てる!」なんてことがたびたびあった。前の車はスピードが増すのに正比例して,車の中の音も増大していった。ところがずっと静かなのでスピード感がまったくといっていいほど,ない。
 我が家には不似合いな「上等な車」でまだ戸惑いながらのっているけれど,何かしら優雅な気持ちになって,焦りながらエンジンをふかしたり,チマチマせずに余裕を持って走るようになっている。ハンドルを握ると凶暴に変身する人もいるが,もとから私はハンドルを握ると,のんびりとして焦ることはほとんどないタイプの人間だった。が,より一層余裕を感じて走るようになっている。
 この車を世話してくれたのは吹奏楽部の卒業生なんだけれど,昨日だったか上記のようなことをメールで送ったら,以下のような返事が返ってきた。
 「でも指揮棒を握ったら、とたんに厳しくなられますよね!(冗談です)」
 カミさんと二人で大笑いしてしまった。実に的を得た,的確な指摘である(大笑い!)。こういう返事が返ってくると本当に楽しい。こういう洒落っ気を持ってると楽しく暮らせるだろうなあ・・・私も以前は「深刻」になるのが得意な人間だったけれど,最近ではずいぶん「強引に」楽しくする術(すべ)を身につけたと思っている。でも,この卒業生には「負けた!!」。見習わねば!!
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[5日・水曜日]
 音楽会と定期演奏会が終わった直後から,背中の真ん中あたりが痛くて,時々力が抜けて背骨がグシャッとなりそうになったり,何かの拍子で激痛が走ったりしていた。今までに経験したことのない痛みだったので,早く出かけたかったんだけど,やっとのことで今朝,いつも行っている桜井の整骨院に行ってきた。
 いつも以上に右足が狂っていて,先生も思わず大笑い。そしていつものように針をうってもらい,首の筋を修正。結局いつもと同じことをしてもらっただけだった。「何か病院に行かねばならないような病気はありませんか?」と尋ねると「ないない!強いて言えば『肉のつきすぎや』ハハハ・・・」とまた大笑い。深刻なことでなくてホッとしたけれど,さて,いつになったら元通りになるんだろうか。背筋がパンパンで走ることもできないくらいに変な具合なのだ。腹のまわりに「お肉ちゃん」がついてるのは,過日の定期演奏会でタキシードが小さくなっているので気がついていた。カミさんは「もう買わないからな!」と力強く?言うし,やっぱり「お肉ちゃん」を減らすしかない。12年ほど前に減量して,14キロほど体重を落としたことがあったけれど,今のところ,そこまで頑張ろうという気持ちにはなっていない。だって前回の減量の後,「病気」が出てきてしまったという忌まわしい記憶が強烈に残っているからだ。でも何とかして,70キロ代までには落としたい。
 でも「食欲の秋」,食べるものがメッチャおいしいのである。おいしい物を少しだけ食べる・・・なんてオレにはできない!!
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[4日・火曜日]
 きょうは天理小学校と中学校の合同研修会があり,本校の会議室で講師を招いての講演があった。
 過去20年間の中学校現場での経験から得られたことがたくさん語られ,その情熱あふれる話ぶりに圧倒されてしまった。とってもよいお話だった。
 私は過去に担任をした際には,何かに憑かれたかのように一生懸命になって学級通信を書いていた。学年主任をした時には学年通信も出してきた。生徒たちに少しずつだけれど本音を語ったり,よいことや褒めてやれることを積極的に書き続けた。そのおかげかクラスのことで大きく悩んだことはなかった。吹奏楽部でも「通信」を出していた。ただ最近では担任を外れているので学級通信は出していないし,部の「通信」も面倒になってしまっていてご無沙汰状態である。そうして『書いてきたこと』を心のどこかで自慢していて,いつのまにか高慢な気持ちになってしまっていることに気づかされた。過去の栄光?にすがっているだけの,努力をしない人間に成り下がっている自分にである。
 部活動にしても『夢』はあるものの,それに向かってどれだけの努力をしていた? と自分に問いかけても,赤面してうつむいてしまうしかできない自分。先生は仰っていた。【自分自身が変わること!】私がもっとも恐れているOBもよく言ってくれている。きょうの先生の話を聞いて,あと十年しか残っていない教員としての自分に,再度,ムチを入れてみようという気になってきた。これまでにも何度かこう思ったことはあった。しかし,自分を変える,というのは自分に対して恥ずかしいことのように思っていた。そんな自分が情けない。さて,どう変わるのかは自分でも想像ができない。しかし,『夢』を実現させるために頑張ってみよう!
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[3日・月曜日]
 昨日の朝から,出身校であり,今春入学した息子が通学している「愛知県立芸術大学」の芸術祭に出かけてきた。息子もまだ一年生だけど,「芸祭オーケストラ」に出たり,アンサンブルをしたりするというので家族で出かけてきた(しっかり親バカしている??)。
 音楽学部と美術学部,そしてそれぞれの大学院があり,全部で七百名ほどが在籍している学校である。そう,天理中学校よりも人数的には少し規模を大きくしたくらいの小さな大学である。
 自分が学生だった頃,特に1〜2年生の頃,「芸祭」期間中,これだけ長い時間,大学にいたことはなかった。今回,学生時代にも足を踏み入れたことがなかった美術学部の建物も探検してきた。それぞれの専攻別に作品を展示してあるんだけれど,中には「え?どれが作品なの?」という奇妙なものもあって楽しかった。作曲科の作品発表会も1〜2年生が中心だったからか,割とすっと耳に入る作品が多くて,ちょっと意外な感じがした。そう,現役の頃に発表を聞いた時は「現代チック」な作品が多くて耳がおかしくなった記憶があったからだ。
 「芸祭オケ」の始まる前,ホールでの有志によるロビーコンサートに息子が登場。まだ一年生なのにしっかりとエンジョイしている息子を見て,嬉しかったし,うらやましいとも感じた。本番のオーケストラ演奏にも出演,オトナの入らない,学生の有志ということで「若さ」を強く感じた。元気をもらったと言ってもいいかな?ただ最後のベートーベンの7番交響曲ではいびきをかいて寝てしまった・・・その公演後一時間ほどして,一年生の弦の有志による四重奏が外であった。緊張しながらも楽しそうに演奏している姿がまぶしかった。
 また,同じ声楽のクラスの二つ下の学年の女性との再会は大変に驚いたけれど嬉しいハプニングだった。25年ほどたっているのに,お互いがわかったというのも驚きである。近所に住んでいるようで女の子供さんを連れていた。知ってる人には出会うはずがないと思っていたから余計に嬉しい出来事だった。
 学内のあちこちで音楽学部の学生が演奏をしている・・・さすがに芸大だ。来ている人も,学生やその家族らしき人,受験するような感じの高校生などがたくさんいて,本当に平和な感じだった。また,来年も行こう・・・今から楽しみにしている。吹奏楽の演奏会もあったんだけど,少々物足りなさを感じたのは私だけではなかった。末の息子も同じことを感じていた。
 この二日間,まるで自分が学生時代に戻ったようで楽しい時間を過ごすことができて良かった。明日からまた頑張れそうだ。
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[1日・土曜日]
 きょうは久しぶりで人前で歌わせてもらった。「やまと郡山城ホール」で約一時間。喋るのが多くて聞く方も大変だったに違いない。私もかなり緊張して迎えた「この日」だったけれど,何とか終わってほっとしている。いろいろなことをこれまでにも考えていたけれど,そのほとんどが「11月1日」で止まってしまっていた。これで「次」に向かって歩き始めることができそうだ。
 明日は朝早くから名古屋に出かける。正確に言えば,名古屋の隣の「長久手」という所なんだけど・・・・もしかすると明日の夜は帰ってこないかもしれない。初めて「日記」が欠けるかもしれない。でも不在なんだから仕方がないねえ。昔の私なら,絶対に欠かさぬようにいくら遅くなっても帰ってきたと思うんだけど・・・・
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