2003年10月

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《31日・金曜日》
 秋晴れの一日だった。校外学習日和というか,本当に気持ちの良い一日だった。私は「大鍋」の準備があり,生徒たちと一緒には歩かなかった。しかし,何やかやと忙しく,また力仕事もあったりして,相当に身体はばてている。灰をかぶったりススがついたりして自分でも驚くくらいに汚れて帰宅した。カミさんには「こんな人と一緒にはよう歩かん・・」とか言われてしまった。でも何かしら「青春した!」って感じがして気持ちが良い。火にあぶられていたからか,身体が水分を求めている。本当はビールをクイーーッといきたいところだけれど,明日は人前で歌うことになっているので・・・・我慢している!!!
 これまで一緒に過ごしてきた「車」と,きょう,お別れした。卒業生で車屋さんがいて,声をかけてみたら,私にはもったいないような車を見つけてくれたのである。これまでのは平成5年のディーゼル車で,黒い煙を吐きながら走ってくれていた。でも,機嫌よく走ってくれるので大いに気に入っていた。でも,ぼちぼちガタがきていて,タイヤもぼちぼち・・・思い切って中古車だけれど購入。カミさんが乗りたがっているので,明日は私が乗ることはないだろうけれど・・・・生徒たちも,「ドキッ!!」とすることが少なくなるかな?
 きょうはいつもより早い時間に日記の更新をしている。たぶん夕食を食べたら眠くなってしまうだろうから・・・これで十月も終わった。何とか二ヶ月間,続いている。明日から「冬校時」,少しゆっくり寝ることができる。嬉しい!!
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《30日・木曜日》
 明日は校外学習。三年生は柳生街道の「滝坂の道」を歩いて「さんさいの里」まで歩き,そこで大鍋を囲んでの昼食,そして演芸会という予定だ。きょうの放課後,久しぶりで三年生に集合を指示。始めは明日の演芸会でする「南中ソーラン」を一度くらいやって,と思っていたんだが,する場所がなかったため,それを省略して明日の準備を手伝ってもらった。大きな鍋,薪の束,長椅子をトラックに積み込む作業。鍋は洗っておかないといけないと思って洗わせて・・・いや,洗ってもらって(笑い)。実によく動いてくれた。ご苦労さん!
 明日の片づけも手伝ってもらわねばならないんだけれど,去年の吹奏楽部の連中も同じことをやったそうな・・・・頼りにしている! お天気の心配はなさそうだ。今の三年生は「大鍋」をするのは初めてらしい。おもしろいよーー。
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《29日・水曜日》
 定期演奏会の写真が届いたので,大急ぎで写真をスキャナーで取り込み,加工して,ホームページの更新をした。「OBバンド」までは手が届かず,20回の定期演奏会のページだけ,とりあえず写真だけ入れてみた。かなりの容量なので接続に時間がかかるかもしれない。我が家のADSLはまだ「1.5M」なんだけれど,さてすべての写真が出てくるのにどのくらいの時間がかかるのだろうか?できるだけ少なくしようとは思うんだが,考える時間的な余裕がなく,結局あれもこれも・・・それも・・・という具合になってしまった感じである。何でもそうだが,じっくりと考えて,焦らずに行動するのが良い・・・・のはわかっているんだけどなあ・・・
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《28日・火曜日》
 夕方,いろいろと事情がからんで,六時過ぎに天理駅周辺をウロウロした。思ったほど生徒がいなくて少し当てが外れた感じだった。終わりの学活で「早く真っ直ぐに家に帰りなさい」と言ったのが功を奏したのか,あるいは別の所でゆっくりしているのかはわからない。十月も末になってきて日暮れが本当に早くなった。お天気が下り坂だったから余計に暗くなるのも早かったのかもしれない。
 近頃,厄介なヤツが増えてきていて,生徒たちの登下校を脅かすような輩が数多く報告されている。「自分は大丈夫」という何の根拠もない安心感を生徒たちは持っているようだが,現実は甘くはない。
 話はかわるけれど,18年前だったか,自転車に乗っていた私が,車とぶつかったことがある。おぢばがえりが終わった翌日の8月5日の朝,朝づとめを終え,感謝の集いで真柱さまからのお言葉を聞き,吹奏楽部の練習場に行って少し片づけをしての帰り道だった。細い道で,脇道から出てきたトラックと出会い頭に衝突。私は宙を飛んで地面にたたきつけられた。左の肩が痛く,すぐ車を降りてきた運転手とともに憩いの家に向かった。レントゲンの結果は,「たぶん・・・折れてはいないと思うけど・・・」という,今思い出すと「おいおい,そんないい加減でいいんかい」という診断だった。左腕を吊り,数カ所のすり傷を手当てして,まずは学校に戻った。すると,さっき別れたばかりの校長先生と出会い,「!!!!どうしたんや??」。事情を話したけど,痛かった。そして左腕を吊ったまんまでコンクール練習に励んだ。一週間後,コンクールに行くと,「再起不能とか聞いたけど,どうしたんや?」吊ってる左腕を見せて会う人ごとに話をした。さすがにコンクール本番の舞台では見栄えが悪いので,無理をして包帯を取り,何もなかったかのように指揮をした。左腕は,さすがに腹より上には上げられなかったけど・・・・
 そのことがあって以来,「自分は事故にはあわない」と思ってる生徒たちには力を込めて話をしているつもりだ。私だって「自分は事故にあわない,あうはずがない!」と思っていたんだから・・・・幸い,あの時は,あの程度ですんで練習も普通にできたし,吊っていて不便ではあったけれど自分で動くこともできた。でも幸運であったおかげだからだ。
 事故もそうだし,いま出没している輩に関してもそうである。「自分がそういう被害にあうかもしれない」と思って,しっかりとした行動をしてもらいたいものだ。
 前にも言ったことがあったかなあ・・・・私は現在,生徒指導部長なのである。生徒たちが元気に学校で過ごし,無事に家に帰り着くことができる。こんな当たり前のことが天中生全員に一日も欠かさずにあってもらいたいと願っているのである。
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《27日・月曜日》
 知り合いの方が急に出直され(天理教では死ぬことを《出直し》といいます),遷霊祭に出かけてきた。
 一昨日,学校で大祭講話があり,講師の先生が「死んだのではない。生き切ったのだと考えればよい」と仰っていた。確かにその通りだと思う。でも突然,目の前から人がいなくなってしまう・・・・辛い話だ。
 4年前,吹奏楽部の卒業生で,プロの騎手になったヤツが突然やってきた。厳密にいえば,5年前の12月のこと。彼は肺ガンに冒されており,あと半年の命だ,と教えてくれた。4月に初めて見舞いに行った。5月か6月頃から足繁く天中に通ってくれるようになった。生徒たちに『話』をしてくれた。始めのうちは現役部員たちへの《説教》だった。しかし話の最後に,自分の病気,そして八月までの命であると医者から言われている,と生徒たちに告げた。大きな衝撃が走った。その後,夏休みに入った。我々の間では「おぢばがえり」が迎えられるかな,と思っていたが,神様のご守護により,「パレード」に出場することができた。奇跡が起こったと感じた。ただユニフォームを着て生徒の横を歩いただけである。でも彼の姿が涙でかすんだ。そして奈良県コンクール。その年も「県ボツ」に終わってしまった。しかし彼は言った「俺は来年まで生きてやる。絶対に生きてお前らを関西に行かせたる!」。そして翌年の1月14日,彼は出直した。医者の宣告よりも半年も余計に命の灯を燃やし続けた。彼は本当に自分の人生を生き切った![第16回定期演奏会のページに記録があります]
 今回は・・・本当に急なことだった・・・・
 一日を如何にして「生き切るか!」。大きな課題である。胸がいっぱいで思っていることが上手に文にできない・・・もどかしい!!
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《26日・日曜日》
 きょうは朝から参拝。立教(天理教が始まった日)の元一日である。素晴らしいお天気に恵まれ,また日曜日と重なったこともあったからか,大勢の参拝者の方で神殿があふれていた。朝からメガネをかけて神殿に出発。メガネをかけていないと,少し離れた人の顔がぼやけてしまうからだ。各地からいろんな人たちが「おぢば(天理)」に帰って来られる大祭。遠くからでも顔がわかるようにと思ったからだ。何人かの知った顔は見つけたんだけれど,遠すぎたり,中学生と一緒の参拝中だったりして,結局メガネをかけた恩恵はなかった。
 用事があって昼前後に出かけたんだけど,用が終わってすぐに帰宅。久しぶりで家で昼寝をして,ゆっくりと過ごすことができた。そのためか,もう眠たい。じゃあおやすみーーー,ちなみに今,9時50分。
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《25日・土曜日》
 10月25日,恒例の「おうた演奏会」が本部第三食堂で行われた。昨年までは合唱団の一人として歌っていたんだけれど,今年は久しぶりで会場から聴いた。「おうた9番」を聴きながら,昔のことを思い出していた。
 おうた9番が作曲されたのは30年ほど前のこと。ちょうど高校を卒業し,浪人をしていた時に作曲され,各地に「おうた」を歌うための合唱団ができた。縁あって愛知教区合唱団のメンバー兼指導者として関わらせて頂いたのが29年前になるのかなあ・・・懐かしい。音程が取りにくい曲で,合唱なんて初めて,という人が大勢集まっての練習だった。指導者とはいえ,声楽を習い始めた駆け出しの頃だ。本当に苦労しながら「音取り」をしたものだ。
 夏休みには,おぢばで合宿がなされたり,教区でも合宿練習をしたりして,その年の10月26日の午後,神殿中庭において,作曲者の團伊玖磨氏の指揮,京都市交響楽団の演奏で「おうた9番:お供え演奏」が行われた。半年かかってようやくたどり着いた「お供え演奏」,本当に感激だった。そしてその翌春,5月に東京公演が行われることになった。その直前の三月,ちょうど愛町分教会での東京公演前の合宿のまっただ中に,受験した愛知県立芸術大学の合格発表があった。風邪をひいて高熱を発しながらの受験だったが,神様は私を拾って下さり,その後4年間名古屋で過ごさせて頂くこととなった。発表の知らせを,合宿中のみなさんに報告,教区と愛町の方々が胴上げをして下さり,我がことのように喜んで下さったことは30年経った今でもハッキリと覚えている。そして4年間の間に,合唱団員の一人だったカミさんと知り合い,卒業後結婚。そして,今,息子が同じ大学に通っている。
 私にとって,「おうた9番」は今の人生の元一日といってもいいくらい大きな存在,お世話になった曲である。あの頃は,いつになったら本部の音楽研究会のオーケストラで「おうた」が歌えるんだろう・・・と秘かに思っていたが,今は,自前での「おうた演奏会」が可能になった。隔世の感がする。また,そのオケのメンバーとして息子が演奏している。まだまだこれからも「おうた9番」とのつながりは続きそうだ。もし許されるのなら,自分の指揮棒で演奏がしてみたいものだ・・・・
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《24日・金曜日》
 日本シリーズ第五戦。地元の甲子園で勢いにのり「三連勝!」。昨夜はテレビの画面を見ての応援ができなかったので,きょうは二日分の気合いを込めて声援を送った。第二戦は13対0という大味な試合だったが,その他の試合は神経にさわる・・・きょうも勝ったから良いものの,負けてたらストレスがたまっちゃうよなあ。星野監督の気持ちが理解できるような気がする。ちょっと野球ネタが続いたなあ・・・明日は休養できる,うれしい・・・・
 夜になって「寒い!」と感じるようになってきた。しかし,私の横にはまだ扇風機が立っている。カミさんは「ホットカーペットが欲しい・・・」と言ってるけど,風呂も入ったし,今からホコリを浴びる気にはなれない。次の日曜日には出ているかな?
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《23日・木曜日》
 実は今,午前零時をまわってしまっている。「作成者から」のページに「歌の演奏会」というのがあるんだけれど,その彼女のところに伴奏あわせで出かけてきたのである。何日か前の日記に「人前で歌う機会があって・・・」と書いた件での練習だ。今回は頼まれたことなんだけど,あと一週間という時期になって重い腰がようやく上がって出かけてきた。夏休みに一度会ってるんだけれど,じっくりと話すのは久しぶりのこと。彼女もしっかりと腰を地におろして自分の道を歩み続けているようで,安心した・・・中三の時に担任だっただけの私なんだけれど,余計なお節介が得意のヨネダだからねえ。さぞ迷惑な話???
 合わせの練習をしていても,実は「日本シリーズ」が気になって仕方がなかった。練習している最中にテレビもつけてくれていたんだけれど,さすがにテレビを見ながらの練習はしなかった(当然??)。合わせを終えてから食事に出たんだけれど,野球が気になって仕方がなくて,家にメールを送って情報を何度か送ってもらった。昨夜に続いての「サヨナラ勝ち」。思わず彼女と「ヨシッ!」と声をあげていた。日本シリーズの二試合連続の同チームのサヨナラ勝ちは「初」のことだそうな,ラジオが言っていた。さあ,明日も甲子園。頑張れ!!  あれれ??いつの間に,野球の話にかわってしまったんだ??
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《22日・水曜日》
 ようやく阪神が一勝した。福岡で連敗してこのままか,と思っていたが,何とか一矢を・・・・私は熱烈な阪神ファンではない。小さい頃は「巨人・大鵬・卵焼き」だったけれど,時代がかわっていき,いろいろな事情も絡んできて,今でも自信を持って好きといえるのは「卵焼き」だけだ。最近では,周りの影響もあって「阪神が勝ったらええなあ」と思うようになってきていた。今回の日本シリーズの第二戦,テレビを見ていると,ある卒業生から「いま福岡ドームにいまーす!」なんてメールが入ってきて,ビックリ! そんなヤツが身近にいるから私まで影響されてしまって,きょうは,藤本が犠牲フライを上げた段階で大喜びして,カミさんと大声を出していた。実はカミさんの知り合いにも「大ファン」がいて・・・・・面白い!!
 きょうは珍しい人に出会った。一人は,中学時代の吹奏楽部の一つ上の先輩でトランペットを吹いておられたUさん。朝の参拝の時,神殿で「おはよう!」と声をかけられて,すぐにはわからなかったんだけれど,ハッピの教会名を見て思い出した。もう一人はイギリスにいる人が突然学校に訪ねて来られて驚いた!!メールで行き来している方で懐かしくいろいろなことを思い出しながら話をしていた。
 おぢば(天理のこと)はありがたい所だ。全国各地,世界のあちこちから多くの方が帰ってこられる。居ながらにして懐かしい人たちと顔を合わせることができる場所なのだ。26日が近づいてきている。明日は神殿や教祖殿で誰に会うことができるだろうか,楽しみだ。
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《21日・火曜日》
 何をやってこうなったのか自分ではまったくわからないんだけれど,音楽会・定期演奏会が終わってホッとしたからか,背中のあたりが非常に痛い。背筋のところと言ったらいいのだろうか。筋肉痛なのか病的なものなのかもわからない。わからなければ医者に行けば良いのだが,面倒だし,何よりも「怖い」・・・というか,やはりコワイ。献血に行けば,異常があれば何らかの形で現れると思うんだけれど,その時間が見当たらない。以前に比べれば,医者に行くことに抵抗は少なくなってきた。でも今は,何とか生活できているからか,一日延ばしになっている。身体を使うような激しい動きをした記憶はないし,何でなんだろう???
 数日前の朝,学校の駐車場に着いて車を下りて歩き出したら,ヒザが急に痛くなり片足を引きずりながら歩かねばならないくらいになった。職員室に着いてヒザを少しいじって(いつも行く整骨院でやってくれるようにゴロゴロした)いたら良くなって普通に歩けるようになったんだけれど・・・・太りすぎが主たる原因だ。その整骨院の先生に毎度言われていること。でも昨日も書いたけれど,身体を動かすのはおっくう。食べる量を減らせば少しはマシなんだけれど,「食欲の秋」だからか,食べるものがとても美味しい!! あーーー,どうしよう!! 卒業生が開いた「中国料理屋」にも行かねばならないのに・・・・
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《20日・月曜日》
 私の月曜日の時間割は大変だ。授業が4コマと会議が1コマ。「先生たちは1時間休憩があるからいいなあ・・・」なんて言う生徒がいるけれど,寝ていても1時間の生徒と,しゃべり続けねばならない(もっと正確に言えば,起きてしゃべらないといけない)4コマはしんどい。私も単純な人間なので,うるさいヤツがいたら,いちいちデカイ声で怒鳴り散らすから声も大きく消耗する。
 実を言うと十日後に人前で歌わねばならない機会があるんだけれど,調整に入らないといけないのに・・・我慢ができないヨネダミチハルなのだ。昔に比べると(若い時に比べると)回復するのにも時間がかかるようになってきた。運動不足で身体を動かし足りないのは,声にとっても身体にとっても大きなマイナス・・・とわかっていても運動をしない・・・・以前は,よく歩いていたけれど,その時間も見つけられないし,汗をかくこともおっくうになってきている。あーー情けない!
 きょうは,吹奏楽部の「新幹部」(キャプテン・副キャプテンをまとめて,吹奏楽部では幹部と呼ぶ。決して『組』ではない!)の投票を行った。結果は明日の放課後に発表するのだが,新しいメンバーによるスタートでもあるからか,緊張している。終わってから三年生の幹部たちを音楽準備室に呼んで話をしたが,彼らの表情は実にスッキリとしていた。これでプレッシャーから解き放たれるとでも思っているのだろうか・・・・まだまだ甘い。そう簡単には・・・
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《19日・日曜日》
 きょうも懐かしい卒業生が訪ねてきてくれた。第8回卒のYくんと第9回卒のTくんの二人である。Yくんは時々顔を見せてくれるのだが転職したとのこと。Tくんは自分で料理屋さんを始めたという。一度押し掛けていってご馳走にならないといけない! 昔はいろいろな『伝説の主』がいた。Tくんも実は誰もが驚くような《逸話》を持っている。ここで公表するのははばかられるのでしないが,腹を抱えて笑い転げる話である。本人は痛くて,辛くて,ビクビクしていたそうだが・・・・実は私も最近「真相」を知って驚くとともに笑い転げてしまった。もう《時効》だけれど,知ってる連中が集まるたびに酒の肴になることだけは確かである。
 一生懸命に何かをやってると,時にトラブルに出くわすことがある。でもTくんやその前後の卒業生たちは自分たちで何とかしてしまっていた・・・・・事情を知っている私は愉快だけど,知らない人にとっては?????だろうなあ,ゴメンね。別に,ヨネダが壊れてしまったわけではありませんよ。心配なく・・・・Yくん,この日記を読んだら,Tくんに知らせてやってくれ!
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《18日・土曜日》
 「天理教一れつ会」の創立75周年記念式典が行われた。私は,中学・高校・大学と十年間,「一れつ会」の扶育のお世話になった。式典が始まる前に,ビデオによるこれまでの歴史が紹介されていたのだが,その中で「一れつ会館」が出てきた。現在の天理大学体育館に建っていた,旧奈良県庁の建物である。私は高校に入学してからピアノを習い始めたのだが,我が家にはピアノを買えるような経済的な余裕はなかった。その「一れつ会館」でピアノを借りることができると聞いて,高校在学中は自分のピアノのように使わせていただいた。会議室に置いてあったため,会議のある時には使えない・・・しかも午後5時までしか使わせていただけない・・・そんな中だから,練習できる時には本当に集中して練習した。学校の定期考査の時なんかは,午前中にテストが終わり,そのまま「一れつ会館」に駆けつけ,昼ご飯も食べずに5時まで練習。本当に家での勉強はしなかった,と言うよりも疲れてできなかった。今思い出しても,そこまでして一生懸命に音楽に取り組んだ時期は,その時より他にはない。まさに,「私の青春の館」が「一れつ会館」だった。
 あれから30年の月日がたっても,当時のことが私の記憶から消えることは決してない。そして,天理中学校に引き寄せて頂いて21年目となる。育てて頂いた,もっと正確に言えば,私の基礎を造ってくれた天理中学校吹奏楽部への恩返しと思って,今つとめさせて頂いている。本当に幸せ者だ。
 きょうの記念式典は,私自身の「元一日」を振り返ることができた,とても有意義な時間となった。ありがたい!
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《17日・金曜日》
 中間考査が終わり,1〜2年生による活動が始まった。テストが終わった日だから練習は軽いはず・・・と思っていた部員には大変だったことだろう。私の側には,今から来年を見越してやろうとすることがあるんだけれど,ちょっと焦った? でもなあ,ゆっくり活動している今の姿は許せない。それでいて妙に我々のことを怖がる生徒たち・・・気を遣うところのピントが外れているぞ,と言ってやりたい。「甘い活動」に慣れてしまっているのを矯正していくのは大きな労力が必要だ。でもそれを嫌がっていたら落ちていくばかり・・・・次第に甘くなってきていた自分自身をまず立て直して,厳しい(これが当たり前なんだけど,今の生徒にはキツイ?)活動をしていかせなければならない。
 生徒たちに言ってやりたい。「しんどい」とか「キツイ」とかいう「マイナス指向」から脱して,「・・・して気持ちがいいなあ」とか「キツイけど充実感があるなあ」とか「プラス」にもっていってもらいたい。私たちが怖いのではなく,失敗して怒られる自分が怖いのである。昔の生徒たちは「ヨネダにあんなに怒られて悔しくないんか!」とか「くそったれ!ヨネダなんかに怒られてたまるか!」という反抗的な態度で練習していたものだ。怒られてシュンとするのではなく,それを前進するパワーに換えていたようだ。この「力」はすごかったなあ(これが今の教育界でいう「生きる力」??)・・・私自身も現役の時はそうだった・・・・(内容は内緒)。
 怒られてシュンとしていてもヨネダが優しくなったことはないはずだ。あまりに情けなくて言うのを止めたことはあるけど・・・でもこれからは諦めずに言い続けるつもりである。そうして「止める」ことが多くなってきて,今に至っているんだから。
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《16日・木曜日》
 吹奏楽部のホームページのアクセス数が,ついに三万件を越えた。もう一つおまけに,三万にヒットしたのは私自身だった。二万件目も実は私自身だった・・・・今回は無理だろうなあと思って接続したら,ものの見事にヒット!(いやホームラン?)
 2〜3日前にある卒業生とホームページの話をしていた。すると彼いわく,
 「ヤフーで《天理中学校》で検索すると,天理中学校吹奏楽部が出てくるんですね。すごいですね!」
他の誰だったかにも同じことを言われたことがある。私にはよくわからないというのが本音なんだけれど,そう言われて悪い気はしない。
 きょうは疲れていて,これ以上書き続けることができない・・・だから,おやすみ・・・・
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《15日・水曜日》
 昼から学校を早退して名古屋まで出かけてきた。息子が行ってる大学(愛知県立芸術大学:私の母校でもある)の定期演奏会があり,弦楽合奏で出演する息子の姿を拝みに行ったのである。しっかり「親ばか」している。まだ一年生なんだけど,出してもらえるということと,理由は何であれ名古屋に行くのが嬉しいし,そして何よりも,息子が学校の演奏会に出る初めての機会だったから,疲れも感じずに行くことができた。カミさんは残念ながら出かけていて行けなかった。
 今晩は,弦楽器と管楽器の夕べとのことで前半は弦楽器,後半は管楽器というプログラムだった。さすがに専門家の卵たちである。うまい!(当たり前なんだけれど,ふだん中学生の変な?音を聞かされているものでつい・・・ゴメンよ,中学生たち)
 タマゴたちの演奏を聴いていて,「自分にもこういう時があったんだよなー」と昔を思い出したりしていた。また,演奏される曲が,私には難しいものばかりで理解しにくかったんだけれど,聞き慣れた弦や管楽器の音は心地よかった。定期演奏会では,ファゴットの素晴らしい演奏を聴かせていただき,きょうは,若いエネルギーの塊のような若者の演奏を聴き,何か「エネルギッシュなパワー」をもらった感じがする。こうした「アカデミック」な活動をしていなければならないはずなのに,なかなか,そうはなっていない。「努力する」ということを久しくやってない自分に飽き飽きしてきた。
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《14日・火曜日》
 昼前から雨が降り出し,今も降り続いている。冷たい夜になってきている。
 授業の合間に,音楽会や定期演奏会の後始末の細々したことをやっている。「やったー!!」で終わってしまえば良いのだが,後始末もきちんとやっておかないと,次の時に大きく影響する。今年はどちらの催しも会場が「やまと郡山城ホール」にかわり,何もかもが初めてで本当に大変だった。私たちも目の前のことを何とかクリアしようと必死で,なかなか全体のことに目が向いてはいなかった。私たちでさえそうなんだから・・・・
 きょうは疲れている。腰から腹にかけての筋肉が引きつっているような感じがする。立ってることが多く,またバタバタと動きまわっていた後遺症なのかもしれない。早く休んで明日に備えよう。明日は用事があって名古屋に出かけることになっているのだ。帰りは夜遅い時間になってしまう・・・・考えただけで疲れる??
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《13日・月曜日》
 きょうはコンピュータの前に何時間すわっていただろうか? ホームページをかなりアチコチさわって整えた。今回の定期演奏会の写真ができあがってくるのにはもう少し時間がかかるので,まだ。しかし,他のページで不十分だったところや,おかしかったところなどを修正。ほとんど一日中,家にいたんだけれど,のんびりと休みを満喫するなんて余裕はなかった。よほどの「貧乏性」なんだろうなあ,じっとしているのが楽しくないもんなあ。昨日からきょうにかけてのHPへのアクセス数が大変多くなっている。定期演奏会のプログラムなどを見て,接続して下さったからだろうか,接続が多いととても嬉しい。
 もうすぐアクセス数が「3万件」になる。2万を越えたのが確か4月の半ばだったから,約半年で一万件・・・多いのか少ないのかはわからないけれど,素直に嬉しい。実は「20000」をゲットしたのはヨネダミチハル自身だった。さて,「30000」をゲットした人は知らせて下さいね。楽しみにしています。明日は久しぶりで学校だ。テスト直前だから生徒たちは緊張してるはずだが・・・・吹奏楽部員たちはどうだろうなあ・・・勉強・・・今度はじっくりと懇談をするからね。これを読んだ人はみんなに知らせておくように!!
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《12日・日曜日》
 昨夜はすぐには眠ることができず,結局三時頃まで起きていた。なのに朝六時に目が覚めてしまって(まだ若いのになあ),昼寝もせずに一日活動した。学校に一日いて,音楽会と定期演奏会の片づけや,これまで放っておいたいろいろなことを片付けた(まだたくさんやり残しの仕事はあるんだけれど・・・)。昼過ぎで帰る予定だったんだけど,結局夕方になってしまった。
 ビデオをVHSにダビングしていて気がついたんだけど,やまと郡山城ホールの吊りマイクで録音した音は,大変きれいだ。本当に驚いた! あの舞台で歌っていても自分自身にはほとんど声が聞こえてこない(だからリハの時の生徒の声が小さかったんだ。自分の声が聞こえないから不安になって・・・)。吹奏楽の音も指揮台の上では本当に聞こえてこなかった。生徒自身も聞こえないから不安だったんだろうなあ・・・・
 昨夜あまり寝てないからか,頭がズシーーンと重い(大きさや重さとは関係ない!)。明日はしなければならないことがあって,少し身体を動かす・・・・さあ,早く休もう!
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《11日・土曜日》
 第20回定期演奏会が無事に終わりました。大きな「20」という節目を迎えて心改まることがたくさんありました。ふだんはキツイことばかり言ってるヨネダですが,それに反発しながらも頑張ってきた生徒たちの姿を毎回見ることができました。私もいろいろと「定期演奏会」では頑張って??きましたが,続けることができたのは,正しく生徒たちのパワーのおかげです。ありがとう!
 そして最初の頃には支えてくれる卒業生も皆無だったのが,次第に輪が広がり,いまでは本当に多くの「定演卒業生たち」が支えてくれるようになりました。同じしんどさやツラさ,それ以上の感激を共有してきた仲間たちにも感謝したいと思います。本当にありがとう!
 今回,初のゲストとして出演して下さった森純一さん,西上和子のご夫婦には心から感謝しています。音楽の機微というか,楽しさやおもしろさ,そして素晴らしさを伝えて下さいました。本当にありがとうございました!
 これから先の「定演」がどう成長していくのかが楽しみです。
 最後になりましたが,保護者や家族の方々,厳しい活動を支えて下さって本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
 さあ,現役諸君,大きな区切りが終わりましたが,今は「中間考査」の直前です。己の身体と心にムチを打ちながら勉強に励んで下さいね。久しくとんでいた「懇談」を楽しみにしていますから・・・(笑い)
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《10日・金曜日》
 第36回音楽会が終わった。生徒たちもクラス合唱で全員が「あの舞台」に立って演奏した。ふだんイカツイテる生徒が,緊張しながら恥ずかしそうに歌う様子は見ていて愉快だった。リハーサルの時には茶化しながらやっていたが,本番になると開き直りからか,堂々と歌っている姿が目についた。きっと思い出に残る舞台になったに違いない。
 私の仕事は大したことではないのだが,それでも朝から夕方までウロウロしていて,気がついたら一度もトイレに行ってなかった。汗をよくかいて500mlのペットボトルを二本も飲んだんだけど・・・・おかげで足はガクガクフラフラだ。でもその後に明日の練習・・・生徒たちもかなり疲れた様子で六時頃には練習することもできないくらいに緊張がなくなっていた。オトナでもかなり疲れたから,中学生とはいえかなりの疲れだったに違いない。今夜はゆっくり休んで,明日は復活して来いよ!
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《9日・木曜日》
 きょうは「やまと郡山城ホール」での音楽会の準備やリハーサルだった。初めて来られた先生方は,美しさや木の香りが漂う会場に驚いておられた。舞台に立って会場を見ると,天理とはまったく異なる光景が広がっている。本校のほとんどの生徒たちも「郡山」の舞台に立つのは初めてだと思う。こうした舞台で演奏できる機会は,「本物にふれる」という意味でとても貴重な体験だと思う。音楽室での授業でも緊張して歌っている連中が,明日,郡山の舞台に立って,さてどのような感想を持つのだろうか。一人ひとりに聞いてみたいものだ。
 立派な会場で素晴らしい体験ができる明日,事故なく一日が過ぎていってくれることを願っている。気をつけて来るんやで!
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《8日・水曜日》
 いよいよ明日は音楽会前日。午後からは「やまと郡山城ホール」に出かける。何とかするべきことはやったと思うんだけれど,さて,何が抜けているんだろうか? 吹奏楽部のもう一人の顧問の先生がしっかりして下さっているおかげで,私も心強い。何が抜けてる,次はこれですよ,あれはどうでした?ときっちりとサポートしてもらっていて有り難い。
 以前は「オレがやらなきゃあ誰がやる?」と考えて文字通り一生懸命だったけれど,この頃では,かなりいい加減な人間になってきた。前にも書いたことがあるが,誰かが必ず代わりになってくれる・・・・でも・・・・
 きょうの帰りに参拝をしていて,右の下腹が痛くなってきた。「え??もしかして盲腸??」と少し焦ってしまった。今,もし手術でもしなければならないような事態になったら・・・・なってから考えればいいんだけれど,あまりに一人で抱え過ぎていると全体が動かなくなる恐れもあるわけだ・・・難しいもんだなあ。神殿を降りたら腹痛はどこかへ飛んでしまっていた(笑い)。
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《7日・火曜日》
 やはり予想通り,音楽会直前になって目がまわってきた。天理市民会館でやるのなら,今ごろはのんびりと過ごしていられるのだけれど,初めて使うホールで,しかも電車に乗って現地集合という不慣れなことをやる日。だから準備も細かく必要になってくる。明日の職員朝礼で提示する書類を作らねばならない・・・きょうは学校で用事があり,早く帰ることも学校で仕事をすることもできなくて気持ちは焦るばかりだった。明日は,司会者との打ち合わせもやらねばならないのに,今はそれどころの話ではない。
 これで風邪でもひいたら最悪になる。何とかもっているけれど,このままでいってもらいたいなあ。明日は,楽器や物品の積み込みである。学校で落ち着いて練習することはもうできない。あーー,明日も目がまわる〜〜〜
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《6日・月曜日》
 寒い一日だった。私は人よりもかなり太っているので寒さには強い。
 昨日もかなり涼しい(?)一日だったが,私は半袖で出かけた。朝,思っていたよりも早く目が覚めたから,前からカミさんに言われていた,トマトを抜いて畑を耕す作業をしたため,身体が温まり,有酸素運動が始まったのである。だから身体はポカポカしていて,人が思うほど寒くはなかった。
 でも,さすがにきょうは長袖シャツにした。さっきの天気予報を見たら,きょうの最高気温は14度だったようだ。もう「冬」といってもいい寒さ?? 長袖のカッターシャツでも寒いくらいだった。明日は,きょうのプラス6度だから,寒くはないだろうと思っているんだけれど,天気はその日,その時間にならないとわからないもんなあ・・・・人間が天気を予想しようなんて・・・と言ったら言い過ぎかな。
 あと一週間,定期演奏会が終わるまでは身体を壊すわけにはいかない。ちょっと喉が痛いんだけれど,ひどくならないように早く休まねばならない。小さな無理もいけない!! と言いつつ,定期演奏会のページにも手を入れようとしているんだけど・・・・
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《5日・日曜日》
 きょうは私の誕生日・・・「年男」なので36歳になった(12年前のことだけど)。きょうの練習は最悪の状態で「さっさと帰れ!」と思いながら解散の「会」に顔を出したんだけど,帰ろうとしたらいきなり「ハッピーバースディー・・・・」とお祝いの歌。これでは怒ることができない・・・苦笑いをしながら「ありがとう・・・」ちょっと意地を張り過ぎていたかな? ごめんよ,素直じゃあなくて・・・
 あと十年,すなわち「第30回」の定期演奏会を終えたら『定年』になる。もうそんなに時間が過ぎてしまったのかと,ちょっと寂しい気持ちになってしまう。でも,これからの十年も長いんだろうなあ,きっと。
 十年ほど前,ちょうど現在の杣之内校舎に引っ越した直後,大きく体調を崩した時期があった。引っ越し作業の準備や,当時も生徒指導部長できまりの見直しや制カバンの制定などで超多忙で,しんどくて休みたくても休めない日々が続いた。その数年前に大きな減量をして身体に変調が出てきていたのに,引っ越しの無理が加わって,「甲状腺機能亢進症」という名前の病気と診断された。つまり『甲状腺』が働き過ぎていて,どんどん代謝が進む,つまり食べても食べても太らない,という病気。太らないのは良いのだが,何ごとも過ぎることはいけない。せっかく「献血」が趣味になったのに薬を服用するため献血できない日々が続いた。二年ほどだったか薬を飲み続けて何とか復調。しかし復調が進むにつれて,減量で減った体重が元に戻っていった。哀しい・・・
 それからは,本当に無理をしなくなった。どうしても,という時には小さな無理はするけれど続けての無理はしない。夜だって12時を越えて寝ることは今でもほとんどない。昔は「自分がやらなければ誰もやってくれない,できない」と思っていたが,そうではないことも勉強した。それに加えて,歳を重ねるにつれて,「いい加減さ」や「楽しみ方」を体得してしまった。だから・・・楽しい。というよりも,何ごとも強引に「楽しさ」に変えてしまうという『秘技』を身につけてしまったというのが正しい??
 私は学生時代から,正味の年令よりも上に見られることが多かった。でもこの頃では,歳よりも若く見られることも時々あるようになってきた。若返っている??と言いたいが,考え方や反応が若いのかな? 
 今週は,音楽会・定期演奏会と続く,一年で最も多忙な時期。これだけは誰にも代わりはつとまらない(はず?)。小さな無理もしなくていいように準備を進めてきたつもりなんだけれど,さて? どうなることでしょうか? 次の土曜日の夜を楽しみに,明日から過ごしていこう!
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《4日・土曜日》
 夕方から「OBバンド」の練習があった。かなりの卒業生が集まって練習がなされたようだ。私は定期演奏会の準備のために職員室で作業をしていたため,現役の生徒が解散した後は,ほとんど卒業生たちと話ができていない。
 その中で「第三回」の卒業生が三人顔を出してくれた。何せ「第一回」の時の一年生だったから,付き合いは長い。「先生,日記をつけ始めたんですね。読んでますよ。」と言われた時は嬉しかったなあ。しんどい思いをして続けていても,ああして声をかけてもらえると「よっしゃあ!頑張るぞーー!」と燃えてしまう。と同時に「やったあ,きょうのネタができたぞ」と笑みを浮かべている自分がおかしかった(笑い)。一緒に「白い音符」を吹いてくれる仲間が増えたのも嬉しい??
 卒業生諸君,何とか都合をつけて吹きにきてくれよーー。ヨネダは怒らないからさーー(笑い)
 明日は定期演奏会前の最後の日曜日になる。もうほとんど時間はない。このメンバーでの活動も本当に少なくなってしまった。毎年のことだけれど,やはり辛くて哀しい。でも甘えはないぞーー,がんばれ!
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《3日・金曜日》
 6〜7限目に「天中生の生活と意見発表会」が行われた。国語科の課題で書いた作文を,各クラスから一名が,講堂に集まった全校生徒の前で発表するのである。いろいろな内容の発表(クラブのこと,平和のこと,環境問題,家族のこと・・・・)があり,「コイツってこういうことを考えてるのか」「へーー,意外にしっかりしてるんやなあ」「やさしいなあ」「よく頑張ったんやなあ」とか思いながら聞かせてもらった。ふだんは大勢で群がっている生徒たちなのだが,一人ずつ何かしら主張を持って暮らしているんだろうなあと再認識させられた。私が天中に赴任して21年目になるんだけど,赴任した時にはすでに行われていた「意見発表会」,素晴らしい行事だなあと感じる。発表する者も,聞く生徒も,ともに誇れる連中である。
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《2日・木曜日》
 昨日から音楽会週間が始まり,特設の「合唱練習」の時間がもたれるようになった。生徒と担任の先生が一生懸命になって「優勝」を目指すこの時期が私は大好きである。運動会の応援とは異なり,クラスのまとまりや勢いがモノをいう「クラス合唱」,三年生にとっては中学校生活最後の音楽会ということで本当に一生懸命になってくれている(クラスもある)。きれいごとかもしれないが,どのクラスも優勝して欲しいというのが私の偽らざる気持ちである。「このクラスを優勝させてやるぞ!」と意気込んで授業に臨むんだけれど,当てが外れてしまうこともある。私の歌の指導はユニークである。というか・・・かなり無茶なことを要求していく。「何でこんなことせんならんのや!」という態度を見せる生徒もいるけれど,言われるようにしたら必ず良くなっていく。指導の仕方は「紳士」とは言えないが,しっかりとポイントは押さえてあるはず・・・・私は吹奏楽部の指導をしているので,中には,「お前に歌のことがわかるんかよーー!」という顔をするヤツもいるけど,私は正真正銘の「声楽科」の出身だ。指導法は「???」なことも多いけれど理にかなったことをしているつもりだ。
 私は昔,「いかにも教師,というような教師にはなりたくない!」と思っていた。もちろん今でも同じだ。また,「どうみてもコイツは音楽の教師だな」と思われるのも大嫌い。かなり「へそ曲がり」な人間らしい。でも,私はタノシイ。
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《1日・水曜日》
 十月が始まった。いま天気予報を見ていて知ったんだけれど,今朝の最低気温は9度だったらしい。それでも私は半袖のカッターシャツを着て元気に出勤した。私は体重がかなーーり重く,裸になってもシャツを1〜2枚着ているのと同じくらいなので寒さには強い。だから「夏」はタイヘン!でもさすがに今朝は涼し過ぎたので,参拝に出かける時にはハッピを着て出た。ちょうどよい加減で良かったけれど,帰りに少し速く歩くと少し汗ばんできていた。
 実は13年前に一度,減量に取り組んだことがあった。食べる量を減らし,とにかく歩いて歩いて歩きまわった。当時の学校から自宅まで6キロ半くらいあったが,50分ほどで歩いたものだ。歩くというよりも競歩に近い?? 汗びっしょりになって,シャワーを浴び,少量のビールを飲むという感じだった。その効果があって三ヶ月ほどで十キロ少し落とした。スゴイことに思うかもしれないが,余分についていた「肉」が少し落ちただけのこと。
 話は省略するが,今もかなり危険な体重なんだけど,十年前のように「よし!汗をかくために歩くぞ!」という気にならない。面倒だし,汗かくと気持ち悪いし・・・・でも健康でありたい・・・・まだしばらくはこの葛藤に負け続けそうである。
 あと十日で,音楽会,そして吹奏楽部の定期演奏会・・・ボチボチ身体も疲れてきていて,終わるまで大丈夫かどうかが心配になってきている。でも休めない・・・・やるしかない!


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